・・・水の動くのにつれて、揺籃のように軽く体をゆすられるここちよさ。ことに時刻がおそければおそいほど、渡し船のさびしさとうれしさとがしみじみと身にしみる。――低い舷の外はすぐに緑色のなめらかな水で、青銅のような鈍い光のある、幅の広い川面は、遠い新・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・っしぐらに走っているし、ある者は青い方をおもむろに進んで行くし、またある者は二つの道に両股をかけて欲張った歩き方をしているし、さらにある者は一つの道の分かれ目に立って、凝然として行く手を見守っている。揺籃の前で道は二つに分かれ、それが松葉つ・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 博文館が此の揺籃地たる本郷弓町を離れて日本橋の本町――今の場所では無い、日本銀行の筋向うである――に転じたのは、之より二年を経たる明治二十二年であったと記憶する。博文館の活動は之から以後一層目鮮しかったので、事毎に出版界のレコードを破・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ だが、同じ日本の俗曲でも、河東節の会へ一緒に聴きに行った事があるが、河東節には閉口したらしく、なるほど親類だけに二段聴きだ、アンナものは三味線の揺籃時代の産物だといって根っから感服しなかった。河東節の批評はほぼ同感であったが、私が日本・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ことが悪い意味でのいわゆるジャーナリズムの一部であるように考える理由なき誤解があるのと、また一方では新聞雑誌の経営者と一般読者とが、そういうものの真価値を充分に認識しないのとで、この種の特殊文学はまだ揺籃時代を脱することができないようである・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・の物理的研究はまだ揺籃時代を過ぎない。これほどに有力な感官の分析総合能力が捨てて顧みられない一つの理由は、その与えるデータが数量的でないためである。しかし、数量的のデータを与える事が必ずしも不可能とは思われない。適当なスケールさえ作ればこれ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・爾来最後まで同所長事務取扱の職に留まってこの揺籃時代の研究所の進展に骨折っていた。昭和二年には帝国学士院会員となった。 昭和六年の秋米国各大学における講演を頼まれて出張し、加州大学、スタンフォード大学、加州及びマサチュセッツのインスチチ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・西洋の詩にいう揺籃の歌のような、心持のいい柔な響である。 わたくしは響のわたって来る方向から推測して芝山内の鐘だときめている。 むかし芝の鐘は切通しにあったそうであるが、今はその処には見えない。今の鐘は増上寺の境内の、どの辺から撞き・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・ すでに人生の苦闘の意味を知っているイエニーは、赤児の揺籃の傍で、あわれな故郷の織匠たちの運命とその妻や子らの心のうちをどんなに思いやったろう。 カールと『独仏年誌』を中心としてその家に集る亡命者の中には、卓抜な諸部門のチャンピオン・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・托児所の揺籃から共学でそういう点でも気分が自然違うわけで、つまり子供のうちから女と一緒に働き、一緒に仕事をするということから先ず根本の感情が出来て居るから非常にはっきりして居る。 又女性の性の必然というものをソヴェト位保護して居るところ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトに於ける「恋愛の自由」に就て」
出典:青空文庫