・・・ 下り終列車の笛が、星月夜の空に上った時、改札口を出た陳彩は、たった一人跡に残って、二つ折の鞄を抱えたまま、寂しい構内を眺めまわした。すると電燈の薄暗い壁側のベンチに坐っていた、背の高い背広の男が一人、太い籐の杖を引きずりながら、のその・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ところがそれよりも先にけたたましい日和下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中へはいって来た、と同時に一つずしりと揺れて、徐に汽・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・ただ、夫の同僚を先に、一同がぞろぞろ薄暗い改札口を出ようとすると、誰かあいつの後から、「旦那様は右の腕に、御怪我をなすっていらっしゃるそうです。御手紙が来ないのはそのためですよ。」と、声をかけるものがあった。千枝子は咄嗟にふり返って見たが、・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・一寸時計を見ると九時二十分になる。改札口を出るまでは躊躇せず急いで出たが、夜は意外に暗い。パッタリと闇夜に突当って予は直ぐには行くべき道に践み出しかねた。 今一緒に改札口を出た男女の客は、見る間に影の如く闇に消えて終った。軒燈の光り鈍く・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・道中気をつけて、あちらについたら、この赤いふろしきを持って改札口を出ると、叔父さんが、迎えに出ていてくださるから、お母さんの、日ごろいったことをよく守って、偉い人になっておくれ。こちらのことは、けっして、心配しなくていいのですから。」と、お・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・ 乗って来た汽車をやり過してから、線路を越え、誰もいない改札口を出た。青いシェードを掛けた電球がひとつ、改札口の棚を暗く照らしていた。薄よごれたなにかのポスターの絵がふと眼にはいり、にわかに夜の更けた感じだった。 駅をでると、いきな・・・ 織田作之助 「秋深き」
夜の八時を過ぎると駅員が帰ってしまうので、改札口は真っ暗だ。 大阪行のプラットホームにぽつんと一つ裸電燈を残したほか、すっかり灯を消してしまっている。いつもは点っている筈の向い側のホームの灯りも、なぜか消えていた。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ やがて、その人が駅の改札口をはいって行くその広い肩幅をひそかに見送って、再びその広場へ戻って来ると、あたりはもうすっかり暗く、するすると夜が落ちていた。「お姉さま。道子はお姉さまに代って、お見送りしましたわよ。」 道子はそう呟・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・幸い一命を取りとめ、手術もせずに全快したのは一枝や、千代やそれから千代の隣の水原芳枝という駅の改札員をしている娘たちの看病の賜といってはいい過ぎだろうか。この三人は小隊長の病気以来ずっとこの家に泊りこんでいるのである。オトラ婆さんだけに小隊・・・ 織田作之助 「電報」
・・・ 弟の細君の実家――といっても私の家の分家に当るのだが――お母さん、妹さん、兄さんなど大勢改札口の外で、改った仕度で迎いに出ていてくれた。自動車をやっているので、長兄自身大型の乗合を運転して、昔のままの狭い通りや、空濠の土手の上を通った・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫