・・・のであろう。作者は此の景を叙するに先だって作中の人物が福地桜痴の邸前を過ぎることを語っている。桜痴居士の邸は下谷茅町三丁目十六番地に在ったのだ。 当時居士は東京日日新聞の紙上に其の所謂「吾曹」の政論を掲げて一代の指導者たらんとしたのであ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 文学の論議が、これ等の文化組織の設立に前後して、異様な一方性をもって政論化されて来たことは一つの画期的特色である。文学と大衆との無批判性、大人の文学、文学における日本的なものの強調等は、文学の全体としての健全な発展のために自省され、再・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・れ、文学の問題としてそもそも芸術一般というような概念に立つ判断が、現実を正しく把握し得るものであるかどうかを十分明らかにしきらないうち、社会生活と文学とは近代文学の本質であった自我を喪失し、商業主義と政論とが混交した読者としての大衆の課題を・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・そして、評論の面では、誤った文学の政論化功用論への対症として、文学の本質に再び一般の理解を据え直し、云わば文学とはどういうものかということについて語り直されることが必要であるという努力の方向がみられる。 これまでとはちがう意味での文学的・・・ 宮本百合子 「昭和十五年度の文学様相」
・・・当時のように、文学全体が帰趨を失い自主的な対象と方法とを見失っていたような時期、そこにある現実の特殊さへの関心と、政論的な作家の行動性から報告文学へとりつかれたとしても、そこに文学として得るものが多くなかったのは、現実の必然の結果であったと・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・的空気と目して来ている一種の政論的傾向に対する弁解として「文学的思想が、種々な条件からどんなに政治的思想と歩を合わせようとしても、根本的な点で一致することは出来ない。文学的思想の価値は現実的価値ではない、象徴的価値だ」と云っている。「アクチ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫