・・・ 若い時分キリスト教会に出入りして道を求めたが得る所がなかったと云っていた。禅に志して坐禅をやったことがあったが、そこにも求めるものは得られなかった。晩年には真宗の教義にかなり心を引かれていたそうである。 学生時代には柔道もやり、ま・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。 寺へ着くと子供が蓮の花を持って来て鼻の先につきつけるようにして買え買えとすすめる。貝多羅に彫った経をすすめる老人もある。ここの案内をした老年の土人は病気で熱・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 葬式は一番町のある教会で行なわれた。梅雨晴れのから風の強い日であって、番町へんいったいの木立ちの青葉が悩ましく揺れ騒いで白い葉裏をかえしていたのを覚えている。自分は教会の門前で柩車を出迎えた後霊柩に付き添って故人の勲章を捧持するという・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・それでも面白かったねえ、ギルバート群島の中の何と云う島かしら小さいけれども白壁の教会もあった、その島の近くに僕は行ったねえ、行くたって仲々容易じゃないや、あすこらは赤道無風帯ってお前たちが云うんだろう。僕たちはめったに歩けやしない。それでも・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・私たちの教会は、多分あの右から三番目に見える平屋根の家でしょう。旗か何か立っているようです。あすこにデビスさんが、住んでいられるんですね。」 デビスというのは、ご存知の方もありましょうが、私たちの派のまあ長老です、ビジテリアン月報の主筆・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・わたくしは賑やかな市の教会の鐘の音で眼をさましました。もう日はよほど登って、まわりはみんなきらきらしていました。時計を見るとちょうど六時でした。わたくしはすぐチョッキだけ着て山羊を見に行きました。すると小屋のなかはしんとして藁が凹んでいるだ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。 十九世紀のヨー・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ジェニファーが、或る貴族の園遊会でコルベット卿にめぐり会い、その偶然が二人を愛へ導いて結婚することになると、満十六歳の誕生日の祝いと一緒にそのことを知ったイレーネが悩乱して、婚礼の朝、朝露のこめている教会の樹立ちのかげから母の新しい良人を狙・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。「或る女のグリンプス・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・神は再びよみがえらなくてはならぬ。それがキリスト再臨によって証せられるか否かは我らの知るところでない。我らは神を知らない。しかし我らの生が神と交通し得るものであることは疑うわけに行かぬ。神は教会の神として、教理の神として死んで行った。しかし・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫