・・・ それはとにかく、もし現代の活動映画が「影の散文か散文詩」であるとすれば、こういう影人形はたとえば「影の俳句」のようなものではあるまいか。 幻燈というものが始めて高知のある劇場で公開されたのはたぶん自分らの小学時代であったかと思う。・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ さび、しおり、おもかげ、余情等種々な符号で現わされたものはすべて対象の表層における識閾よりも以下に潜在する真実の相貌であって、しかも、それは散文的な言葉では言い現わすことができなくてほんとうの純粋の意味での詩によってのみ現わされうるも・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・彼は散文では現わされないものだけを詩の素材とすべきだと考えた。そうして「ホーマーのおかげで詩は横道に迷い込んでしまった。ホーマー以前のオルフィズムこそ正しい詩の道だ」と言ったそうである。 この所説の当否は別問題として、この人の言う意味で・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・そのかわりに台所へのそのそ黙ってはいって来て全く散文的に売りつけることになったようである。「豆やふきまめー」も振鈴の音ばかりになった。このごろはその鈴の音もめったに聞かれないようである。ひところはやった玄米パン売りの、メガフォーンを通し・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ これにつけてもわれわれはかのアングロサキソン人種が齎した散文的実利的な文明に基いて、没趣味なる薩長人の経営した明治の新時代に対して、幾度幾年間、時勢の変遷と称する余儀ない事情を繰返し繰返して嘆いていなければならぬのであろう。 われ・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。 手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ことに中年からは、この方面にかけると全く散文的になってしまっている。だから長谷川君についても別段に鮮明な予想は持っていなかったのであるけれども、冥々のうちに、漠然とわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君とい・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・無論前者は韻語の一行で、後者は長い散文小説中の一句であるから、前後に関係して云うと、種々な議論もできますが、この二句だけを独立させて評して見ると、その技巧の点において大変な差違があります。それはあとから説明するとして、二句の内容は、二句共に・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・たとい後者なりとも文法学者をして言わしめば文法に違いたりとせん、はたして文法に違えりや、はた韻文の文法も散文のごとくならざるべからざるか、そは大いに研究を要すべき問題なり。余は文法論につきてなお幾多の疑いを存する者なれども、これらの俳句をこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 秋声は、ほんとうに自分を生きながら記念像としなかった秀抜な作家の一人であった。散文家としての秋声は、客体的な力量という点で、評価されるべき作家ではないだろうか。日本の近代文学における散文の伝統というようなものが将来注目されるなら、秋声・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫