・・・のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這いながら、じりじり敵前へ向う事になった。 勿論江木上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾一等卒の言葉は、同時・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・と気がるに蘊藻浜敵前渡河の決死隊に加わって、敵弾の雨に濡れた顔もせず、悠悠とクリークの中を漕ぎ兵を渡して戦死したのかと、佐伯はせつなく、自分の懶惰がもはや許せぬという想いがぴしゃっと来た。ひっそりとした暮色がいつもの道に漂うていた。「つまり・・・ 織田作之助 「道」
・・・……なんてこった、敵前でぼんやり腹を見せて縦隊行進をするなんて!」絶望せぬばかりに副官が云った。「中隊を止めて、方向転換をやらせましょうか。」 しかし、その瞬間、パッと煙が上った。そして程近いところから発射の音がひびいた。「お―・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・御主人は、ジャンパーなど召して、何やらいさましい恰好で玄関に出て来られたが、いままで縁の下に蓆を敷いて居られたのだそうで、「どうも、縁の下を這いまわるのは敵前上陸に劣らぬ苦しみです。こんな汚い恰好で、失礼。」 とおっしゃる。縁の下に・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・特攻隊をつくり出すまで非人道になり、絶望した若い人々を、そのせっぱつまった心理から、猛然として敵前上陸でも何でもしてしまうようにもって行った。ちゃんと心理的にそういう戦術をつかった。このことは、将校教育をうけた人は知っていよう。「軍服」・・・ 宮本百合子 「小説と現実」
・・・「その武器を積んだ船が六ぱいあれば、ロンドンの敵前上陸が出来ますよ。アメリカなら、この月末にだって上陸は出来ますね。」 もう冗談事ではなかった。どこからどこまで充実した話か依然疑問は残りながらも、一言ごとに栖方の云い方は、空虚なもの・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫