・・・私が弘前の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学したのは昭和五年の春であるから、つまり、東京へ出て三年目に小説を発表したわけである。けれども私が、それらの小説を本気で書きはじめたのは、その前年からの事であった。その頃の事情を「東京八景・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・君は、文科ですか? ことし卒業ですね?」 私は答えた。「いいえ。もう一年です。あの、いちど落第したものですから」「はあ、芸術家ですな」にこりともせず、おちついて甘酒をひと口すすった。「僕はそこの音楽学校にかれこれ八年います。なかなか・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・私の家は、日本橋呉服問屋であって、いまとちがって、その頃はまだ、よほどの財産があったし、私はまたひとり息子でもあり、一高の文科へもかなりの成績ではいったのだし、金についてのわがままも、おなじ年ごろの学生よりは、ずっと自由がきいていた。私は、・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿のびかんにかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそ・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ 途中から文科のN君が一緒になった。三人のプレイが素人目に見てもそれぞれちゃんとはっきりした特徴があって面白い。クラブと球との衝撃によって生ずる音の音色まで人々で違うような気がするのである。科学者のM君は積分的効果を狙って着実なる戦法を・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ この事が哲学やその他文科方面の研究思索について真実である事はむしろよく知られた事であると思うが、理化学の方面でもやはりそうだという事はあまりよく知られていないようである。 四 ストウピンのセロの演奏を聞・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 科外講義としておもに文科の学生のために、朝七時から八時までオセロを講じていた。寒い時分であったと思うが、二階の窓から見ていると黒のオーバーにくるまった先生が正門から泳ぐような格好で急いではいって来るのを「やあ、来た来た」と言ってはやし・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 言葉がもう少し自由であったなら、そして自分がもし文科の学生ででもあったら、私はおそらく、もう少しケーベルさんに接近する機会が多かったかもしれない。 ケーベルさんがなくなった時に私は昔の事を思い出してせめて葬式にでも出たいような心持・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・それが出来なくなればわたくしはつまり用のない人になるわけなので、折を見て身を引こうと思っていると、丁度よい事には森先生が大学文科の顧問をいつよされるともなくやめられる。上田先生もまた同じように、次第に三田から遠ざかっておられたので、わたくし・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ 文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝らざる興味を・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
出典:青空文庫