・・・素人ながらに、近海物と、そうでない魚とを見分けることの出来るお三輪は、今陸へ揚ったばかりのような黒く濃い斑紋のある鮎並、口の大きく鱗の細い鱸なぞを眺めるさえめずらしく思った。庖丁をとぐ音、煮物揚物の用意をする音はお三輪の周囲に起って、震災後・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・水泳などに行って友だちや先輩の背中に妙な斑紋が規則正しく並んでいて、どうかするとその内の一つ二つの瘡蓋がはがれて大きな穴が明き、中から血膿が顔を出しているのを見て気味の悪い思いをした記憶がある。見るだけで自分の背中がむずむずするようであった・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ ベコニア、レッキスの一種に、これが人間の顔なら焼けどの瘢痕かと思われるような斑紋のあるのがある。やけどと思って見るとぞっとするくらいであるがレッキスとして見れば実に美しい。 アフリカの蛮人でくちびるを鐃にょうばちのように変形させて・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・南国の空は紺青いろに晴れていて、蜜柑の茂みを洩れる日が、きらきらした斑紋を、花壇の周囲の砂の上に印している。厩には馬の手入をする金櫛の音がしている。折々馬が足を踏み更えるので、蹄鉄が厩の敷板に触れてことことという。そうすると別当が「こら」と・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 中では、安次が蒲団から紫色の斑紋を浮かばせた怒った肩をそり出したまま、左右に延ばした両手の指を、縊られた鶴の爪のように鋭く曲げて冷たくなっていた。が、雀は一粒の餌さえも見附けることが出来なかった。で、小屋の中を小声で囀りながら一廻りす・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫