・・・ これなどは断腸の文字といわねばならぬ。 また上野殿への返書として、「鎌倉にてかりそめの御事とこそ思ひ参らせ候ひしに、思ひ忘れさせ給はざりける事申すばかりなし。故上野殿だにもおはせしかば、つねに申しうけ給はりなんと嘆き思ひ候ひつ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・これは人間として断腸の問いである。私は今春、招魂祭の夜の放送を聞いて、しみじみと思ったのである。近代の知性は冷やかに死後の再会というようなことを否定するであろうが、この世界をこのアクチュアルな世界すなわち娑婆世界のみに限るのは絶対の根拠はな・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。次回に於いて、すべてを述べます。 第六 いよいよ、今回で終りであります。一回、十五、六枚ずつに・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・心が高潔だったので、実物よりも何層倍となく美しい顔を画き、しかもその画には秋風のような断腸のわびしさがにじみ出て居りました。画はたいへん実物の特徴をとらえていて、しかもノオブルなのです。どうも、ことしの正月あたりから、こう、泣癖がついてしま・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・子供心ながらも、ずたずた断腸の思いであったのである。あのとき、つるの言葉のままに起きてやったら、どんなことがあったか、それを思うと、いまでも私は、悲しく、くやしい。つるは、遠い、他国に嫁いだ。そのことは、ずっと、あとで聞いた。 私が小学・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・るような、世界のひとみんなからあざ笑われているような、いても立っても居られぬ気持で、こんなときに乙やんが生きていたらな、といまさらながら死んだ須々木乙彦がなつかしく、興奮がそのままくるりと裏返って悲愁断腸の思いに変じ、あやうく落涙しそうにな・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・(この日、退院の約束、断腸「出してくれ!」「やかまし!」どしんのもの音ありて、秋の日あえなく暮れむとす。二十六日。「金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。」 昨日、約束の迎え来らず。ありがとう。けさ、お・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ 運動で鍛えた身体であったが、中年の頃赤痢にかかってから不断腸の工合が悪かった。留学中など始終これで苦しみ通していた。そのせいでもあるまいが当時ドイツの風俗、人情、学風に対する色々な不満を聞かされた記憶がある。しかし英国へ渡ってからは彼・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ わが断腸亭奴僕次第に去り園丁来る事また稀なれば、庭樹徒に繁茂して軒を蔽い苔は階を埋め草は墻を没す。年々鳥雀昆虫の多くなり行くこと気味わるきばかりなり。夕立おそい来る時窓によって眺むれば、日頃は人をも恐れぬ小禽の樹間に逃惑うさまいと興あ・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・近くは三十七年の夏、悲惨なる旅順の戦に、ただ一人の弟は敵塁深く屍を委して、遺骨をも収め得ざりし有様、ここに再び旧時の悲哀を繰返して、断腸の思未だ全く消失せないのに、また己が愛児の一人を失うようになった。骨肉の情いずれ疎なるはなけれども、特に・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫