・・・誠に申分なき教訓にして左こそありたきことなれども、此章に於ては特に之を婦人の一方に持込み、斯の如きは女の道に違うものなり、女の道は斯くある可しと、女ばかりを警しめ、女ばかりに勧むるとは、其意を得難し。例えば女の天性妊娠するの約束なるが故に妊・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・世人が毎度いう通りに、まさしく人は万物の霊にして、生まれ落ちし始めより、種類も違い、階級にも斯くまで区別のあることなれば、その仕事にもまた区別なかるべからず。人に恵まれたる物を食らいて腹を太くし、あるいは駆けまわり、あるいは噛み合いて疲るれ・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘わらず、既に骨肉の間に計略を運らすことにして、子女養育の道に非ざるなり。一 女子既に成長して家庭又・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・するには政府なかるべからざるが故に、政府と人民との関係を生じ、その仕組みには君臣の分を定むるもあり、あるいは君臣の名なきもあれども、つまり治むる者と治めらるる者との関係にして、その意味は大同小異のみ。斯く広き社会の中に居て、一人と一人との間・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 斯くいえばとて、強ちに実際にある某の事某の物の中に某の意全く見われたりと思うべからず。某の事物には各其特有の形状備りあれば、某の意も之が為に隠蔽せらるる所ありて明白に見われがたし。之を譬うるに張三も人なり、李四も亦人なり。人に二なけれ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・ 真の箇人主義は斯くあるべきではないか。 私の云う霊を失った哀れなる亡霊の多くは、箇人主義を称えて、自らを害うて顧見ない。 自己の上に輝ける真を得るためには、真を裏切らぬ事をなさねばならぬ。 真に近づいて真を得るのである。・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・一部の作家たちには、その一事が、作家が見たままを描きさえすればそれはおのずから歴史を反映し、文学はそのものとして常に進歩的であるという彼等の新しいリアリズムの解釈法を便利に正当化しているように思われ、斯くは、バルザックに還れ、ということが云・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・然し自分が殺した証拠が斯くも多数にあると言うと、理性からの判断では、本人と雖も殺人を認めなくてはならぬことになる。斯う云う時に、理性の方を信頼して、現実の方を信頼しないと云うような趣がある。」 そこを予審判事が特別に注意したことから、無・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ 良人と自己の愛の為に斯く断言し得る者が幾人、無数の妻の裡にございましょう。真個の伴侶は、友は、而して母は、少うございます。 其の一口に申せば生温るさに、満ち足りなかった男性の心は、此国の強健な肉体と、少くとも自己を主張し得る女性の「張・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ しかしながら、現実の生活において何が彼等を斯くもはなれ難く結びつけたかといえば、それはツルゲーネフやクロポトキンが文学的には書く価値のないものと考えた、日常の仕事を中心とする生活環境そのものではなかったろうか。 ツルゲーネフが二十・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
出典:青空文庫