・・・そうかと思うと、新内の流しに出た事もあると云う男なんで。もとはあれでも師匠と同じ宇治の家元へ、稽古に行ったもんでさあ。」「駒形の、何とか云う一中の師匠――紫蝶ですか――あの女と出来たのもあの頃ですぜ。」と小川の旦那も口を出した。 房・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・二葉亭もまた無二の寄席党で、語学校の寄宿舎にいた頃は神保町の川竹の常連であった。新内の若辰が大の贔負で、若辰の出る席へは千里を遠しとせず通い、寄宿舎の淋しい徒然には錆のある声で若辰の節を転がして喝采を買ったもんだそうだ。二葉亭の若辰の身振声・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・とし、蓄音器は新内、端唄など粋向きなのを掛け、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘ばかりで、下手に洋装した女や髪の縮れた女などは置かなかった。バーテンというよりは料理場といった方が似合うところで、柳吉はなまこの酢の物など附出しの小鉢物を作・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・まったく気がるに、またも二、三円を乱費して、ふと姉を思い、荒っぽい嗚咽が、ぐしゃっと鼻にからんで来て、三十前後の新内流しをつかまえ、かれにお酒をすすめたが、かれ、客の若さに油断して、ウイスキイがいいとぜいたく言った。おや、これは、しっけい、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・きのうは、新内の女師匠が来た。富士太夫の第一の門弟だという。二階の金襖の部屋で、その師匠が兄に新内を語って聞かせた。私もお附合いに、聞かせてもらう事になった。明烏と累身売りの段を語った。私は聞いていて、膝がしびれてかなりの苦痛を味い、かぜを・・・ 太宰治 「庭」
・・・ 一編の最後に光の消えたスクリーンの暗やみの中から響く、甘い美しい音楽は、なんとなく「新内の流し」とでもいったような、パリの場末の宵やみを思わせるものである。作曲者はちがうそうであるのに「パリの屋根の下」の歌のメロディーとどこか似たメロ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・バーからひびくレコード音楽は遠いパリの夜の巷を流れる西洋新内らしい。すべてが一九三三年向きである。 この芝居を見ている間に、何遍か思わず笑い出してしまった。近所の人が笑うのに釣込まれたせいもあるがやはり可笑しくなって笑ったのである。何が・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・こういう横町の二階の欄干から、自分は或る雨上りの夏の夜に通り過る新内を呼び止めて酔月情話を語らせて喜んだ事がある。また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・引過のこの静けさを幸いといわぬばかり、近くの横町で、新内語りが何やら語りはじめたのが、幾とし月聞き馴れたものながら、時代を超越してあたりを昔の世に引き戻した。頭を剃ったパッチばきの幇間の態度がいかにもその処を得たように見えはじめた。わたくし・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫