・・・彼は二年間の貯蓄の三分の二を平気で擲って、錦絵を買い、反物を買い、母や弟や、親戚の女子供を喜ばすべく、欣々然として新橋を立出った。 翌年、三十一年にめでたく学校を卒業し、電気部の技手として横浜の会社に給料十二円で雇われた。 その後今・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・おげんは熊吉の案内で坂の下にある電車の乗場から新橋手前まで乗った。そこには直次が姉を待合せていた。直次は熊吉に代って、それから先は二番目の弟が案内した。 小石川の高台にある養生園がこうしたおげんを待っていた。最後の「隠れ家」を求めるつも・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「新橋の手前までやってください。」 と、私は坂の上に待つ運転手に声をかけて、やがて車の上の人となった。肥った末子は私の隣に、やせぎすな次郎は私と差し向かいに腰掛けた。「きょうは用達だぜ。次郎ちゃんにも手伝ってもらうぜ。」「わ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ これは、画の話ではありませんが、先日、新橋演舞場へ文楽を見に行きました。文楽は学生時代にいちど見たきりで、ほとんど十年振りだったものですから、れいの栄三、文五郎たちが、その十年間に於いて、さらに驚嘆すべき程の円熟を芸の上に加えたであろ・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・あたし、ゆっくりお話申しあげたいのですけれど、いま、とっても、いそがしいので、あ、そうそう、九時にね、新橋駅のまえでお待ち申して居ります。ほんの、ちょっとでよろしゅうございますから、あの、ほんとに、お願い申しあげます。おいやでしょうけれど、・・・ 太宰治 「花燭」
・・・夜の八時ごろ、ほろ酔いのブローカーに連れられて、東京駅から日本橋、それから京橋へ出て銀座を歩き新橋まで、その間、ただもうまっくらで、深い森の中を歩いているような気持で人ひとり通らないのはもちろん、路を横切る猫の子一匹も見当りませんでした。お・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・ 新橋詰めの勧工場がそのころもあったらしい。これは言わば細胞組織の百貨店であって、後年のデパートメントストアの予想であり胚芽のようなものであったが、結局はやはり小売り商の集団的蜂窩あるいは珊瑚礁のようなものであったから、今日のような対小・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・そう云えば新橋で下りる人もかなりあった。これもどういう人達か見当が付かない。 汚いなりをした、眼のしょぼしょぼした干からびた婆さんと、その孫かとも見える二十歳くらいの、大きな風呂敷包の荷をさげた、手拭浴衣の襦袢を着た男が乗っていた。話の・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 五 百貨店の先祖 百貨店の前身は勧工場である。新橋や上野や芝の勧工場より以前には竜の口の勧工場というのがあって一度ぐらい両親につれられて行ったような茫とした記憶があるが、夢であったかもしれない。それはとにかく、その・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移り、遂に市中第一の賑いを誇るようになったのも明治の末、大正の初からである。ブラヂルコーヒーが普及せられて、一般の人の口に味われるようになったのも、丁度その時分からで、南鍋町と浅草公園とにパウリ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫