・・・正面の新郎や新婦をはじめ、白い凹字形のテエブルに就いた五十人あまりの人びとは勿論いずれも陽気だった。が、僕の心もちは明るい電燈の光の下にだんだん憂鬱になるばかりだった。僕はこの心もちを遁れる為に隣にいた客に話しかけた。彼は丁度獅子のように白・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたよう・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・ ところが、嫁ぎ先の寺田屋へ着いてみると姑のお定はなにか思ってかきゅうに頭痛を触れて、祝言の席へも顔を見せない、お定は寺田屋の後妻で新郎の伊助には継母だ。けれども、よしんば生さぬ仲にせよ、男親がすでに故人である以上、誰よりもまずこの席に・・・ 織田作之助 「螢」
・・・と北京の新郎は大きく出た。「どてらに着換えたら?」「うむ、拝借しよう。」新郎はネクタイをほどきながら、「ついでに君、新しいパンツが無いか。」いつのまにやら豪放な風格をさえ習得していた。ちっとも悪びれずに言うその態度は、かえって男らし・・・ 太宰治 「佳日」
一 祝言の夜ふけ、新郎と新婦が将来のことを語り合っていたら、部屋の襖のそとでさらさら音がした。ぎょっとして、それから二人こわごわ這い出し、襖をそっとあけてみると、祝い物の島台に飾られてある伊勢海老が、ま・・・ 太宰治 「花燭」
・・・婚礼の祝宴の夜、アグリパイナは、その新郎の荒飲の果の思いつきに依り、新郎手飼の数匹の老猿をけしかけられ、饗筵につらなれる好色の酔客たちを狂喜させた。新郎の名は、ブラゼンバート。もともと、戦慄に依ってのみ生命の在りどころを知るたちの男であった・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ああ、このごろ私は毎日、新郎の心で生きている。┌昭和十六年十二月八日之を記せり。 ┐└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘ 太宰治 「新郎」
・・・結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・その傍に立った丸髷の新婦が甲斐甲斐しく襷掛けをして新郎のために鬚を剃ってやっている光景がちらと眼前に展開した。透見の女性達の眼には、その光景が、何かひどく悪い事でもしている現場を見届けでもしたように、とにかく笑うべく賤しむべきこととして取扱・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・人々の視線一度に此方へ向かえば新郎のパナマ帽もうつむきける。この二人間もなく大阪行のにて去る。引きちがえて入り来る西洋人のたけ低く顔のたけも著しく短きが赤き顔にこればかり立派なる鬚ひねりながら煙草を人力に買わせて向側のプラットフォームに腰を・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫