・・・ところがその半月ばかりが過ぎてから、私はまた偶然にもある予想外な事件に出合ったので、とうとう前約を果し旁、彼と差向いになる機会を利用して、直接彼に私の心労を打ち明けようと思い立ったのです。「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトル・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・まで蝶が跡をつけて、来ようなどとは考えませんから、この時もやはり気にとめずに、約束の刻限にはまだ余裕もあろうと云うので、あれから一つ目の方へ曲る途中、看板に藪とある、小綺麗な蕎麦屋を一軒見つけて、仕度旁々はいったそうです。もっとも今日は謹ん・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ そこでしばらく立って読んで見ていると、校正の間違いなども大分あるようだから、旁々ここに二度の勤めをするこの小説の由来も聞いてみたし、といって、まだ新聞社に出入ったことがないので、一向に様子もわからず、遠慮がち臆病がちに社に入って見ると・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・今これを掌へ取って覆して見たらば何うか、色も何も有ったものではなかろう。旁々これも一種の色の研究であろう。 で、鼈甲にしろ、簪にしろ、櫛にしろ、小間物店にある時より、またふっくらした島田の中に在る時より、抜いて手に取った時に真の色が出る・・・ 泉鏡花 「白い下地」
・・・ 内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外に当はつかず、旁々それでは、と早速爺をお頼み遊ばすことになりました。 府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日措いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・椿年歿して後は高久隆古に就き、隆古が死んでからは専ら倭絵の粉本について自得し、旁ら容斎の教を受けた。隆古には殊に傾倒していたと見えて、隆古の筆意は晩年の作にまで現れていた。いわゆる浅草絵の奔放遒勁なる筆力は椿年よりはむしろ隆古から得たのであ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・中には『回外剰筆』にある通り、四行五行に、大きく、曲りくねって字間も一定せず、偏と旁が重なり合ったり離れ過ぎたりして一見盲人の書いたのが点頭かれるのもある。中にはまた、手捜りで指の上に書いたと見え、指の痕が白く抜けてるのもある。古今詩人文人・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・この方針から在来の女大学的主義を排して高等学術を授け、外国語を重要課目として旁ら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等女学校には欧風寄宿舎を設け、英国婦人の監督の下に欧風生活を実習させて、日本の女をして一足飛びに西洋の女た・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・その割れ目は、飛び越すことも、また、橋を渡すこともできないほど隔たりができて、しかも急流に押し流されるように、沖の方方へだんだんと走っていってしまったのであります。 三人は、手を挙げて、声をかぎりに叫んで、救いを求めました。陸の方に近い・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・その地球の周囲、九万里にして、上下四旁、皆、人ありて居れり。凡、その地をわかちて、五大州となす。云々。 それから十日ほど経って十二月の四日に、白石はまたシロオテを召し出し、日本に渡って来たことの由をも問い、いかなる法を日本にひろめよ・・・ 太宰治 「地球図」
出典:青空文庫