・・・と口を切った以上、その後はさしずめ授業方針か何かの大演説があるだろうと、息をひそめて待ちかまえていたのである。 しかし毛利先生は、「諸君」と云ったまま、教室の中を見廻して、しばらくは何とも口を開かない。肉のたるんだ先生の顔には、悠然たる・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけはない。いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・曰く、「あらゆる行為の根底であり、あらゆる思索の方針である智識を有せざる彼等文芸家が、少しでも事を論じようとすると、観察の錯誤と、推理の矛盾と重畳百出するのであるが、これが原因を繹ねると、つまり二つに帰する。その一つは彼等が一時の状態を永久・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・そうして私は、その変動に対して何の方針もきめることができなかった。およそその後今日までに私の享けた苦痛というものは、すべての空想家――責任に対する極度の卑怯者の、当然一度は受けねばならぬ性質のものであった。そうしてことに私のように、詩を作る・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格で、村山の秘書というような関係であったらしく、『国会新聞』の機微に通じていて、編輯部内の内情やら村山の人物、新聞の経営方針などを来る度毎に精しく話して聞かせた。こっちから訊きもしないのに何故こんな内・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 就中、社員が度々不平を鳴らし、かつ実際に困らせられたのは沼南の編輯方針が常にグラグラして朝令暮改少しも一定しない事だった。例えば甲の社員の提言を容れて直ぐ実行してくれと命じたものを乙の社員の意見でクルリと飜えして肝腎の提言者に通告もし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・この方針から在来の女大学的主義を排して高等学術を授け、外国語を重要課目として旁ら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等女学校には欧風寄宿舎を設け、英国婦人の監督の下に欧風生活を実習させて、日本の女をして一足飛びに西洋の女た・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・という根本的な方針が、既に、一年前に確立され、質的飛躍の第一歩がふみだされているとき、工場労働者とはちがった特殊な生活条件、地理環境、習慣、保守性等を持った農民、そして、それらのいろいろな条件に支配される農民の欲求や感情や、感覚などを、プロ・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・自作農として出発させたい考えで、余分なものはいっさいあてがわない方針を執った。 都会の借家ずまいに慣れた目で、この太郎の家を見ると、新規に造った炉ばたからしてめずらしく、表から裏口へ通り抜けられる農家風の土間もめずらしかった。奥もかなり・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟達を見る楽しみがあり、その弟達に逢ってこれから将来の方針を相談する楽みがあった。彼女はしばらくお新を手放さねば成らなかった。三月ばかり世話になった婆やにも暇を告げねばならなかった。東京までの見送りと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫