・・・あしけれど手拭にて頬冠りしけるに、犬の吠ゆること甚しければ自ら無冠の太夫と洒落ぬ。旅宿は三浦屋と云うに定めけるに、衾は堅くして肌に妙ならず、戸は風漏りて夢さめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。 十三日、明けて糠・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・主人は客の如く、家は旅宿の如く、かつて家族団欒の楽しみを共にしたることなし。用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供の挙動を皮相してこれを叱咤するに過ぎず。然るに主人の口吻・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ 明治五年申五月六日 京都三条御幸町の旅宿松屋にて福沢諭吉記 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・遠国より来る人は、近所へ旅宿すべし。ずいぶん手軽に滞留すべき宿もあるべし。一、社中に入らんとする者は、芝新銭座、慶応義塾へ来り、当番の塾長に謀るべし。一、義塾読書の順序は大略左の如し。社中に入り、先ず西洋のいろはを覚え、理学・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・』 かれこれするうちに辻は次第に人が散って、日中の鐘が鳴ると、遠くから来た者はみな旅宿に入ってしまった。 シュールダンの大広間は中食の人々でいっぱいである。それと同様、広い庭先は種々雑多の車が入り乱れている――大八車、がたくり馬車、・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・それから西宮、兵庫を経て、播磨国に入り、明石から本国姫路に出て、魚町の旅宿に三日いた。九郎右衛門は伜の家があっても、本意を遂げるまでは立ち寄らぬのである。それから備前国に入り、岡山を経て、下山から六月十六日の夜舟に乗って、いよいよ四国へ渡っ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ この旅はどこへ往った旅であったか知らぬが、朝旅宿を立ったのは霜の朝であった。もう温室の外にはあらゆる花と云う花がなくなっている頃の事である。山茶花も茶の花もない頃の事である。 サフランにも種類が多いと云うことは、これもいつやら何か・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・茶店、旅宿などにても、極上等の座敷のたたみは洋服ならでは踏みがたく、洋服着たる人は、後に来りて先ず飲食することをも得つべし。茶代の多少などは第二段の論にて、最大大切なるは、服の和洋なり。旅せんものは心得置くべきことなり。されど奢るは益なし、・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫