・・・たる資格は、たとえばメリメと比較した場合、スタンダアルにも既に乏しかった。第二の意味の「芸術家」たる資格は、もっと狭い立ち場の問題である。して見れば菊池寛の作品を論ずる際、これらの尺度にのみ拠ろうとするのは、妥当を欠く非難を免れまい。では菊・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・お前達の人生はそこで既に暗い。この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといって来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・という事であるのを忘れて了って、既に従来の道徳は必然服従せねばならぬものでない以上、凡ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、乃至は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍れむに至っては、性急もま・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ つい、の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。婦でト筮をするのが怪しいのではない。小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 元来はこの秋二軒が稲刈りをお互いにしたというも既におとよさんの省作いとしからわいた画策なのだ。おとよさんは年に合わして、気前のすぐれたやり手な女で、腹のこたえた人だから、自然だいそれたまねをやりかねまじき女ともいえる。 こう考えて・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・が、惜しい哉、十年前一見した時既に雨漏や鼠のための汚損が甚だしくして見る影もなかった。当時案内の雛僧を通じて補修して大切に保存すべき由を住職に伝えたが、今はドウなったか知らん。 円福寺の画にはいずれも落款がないので椿岳の作たるを忘れられ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・斯くの如き批評や作品に人を動かす力の足らないのは当然である。既に形式的に出来上っているところの主義の為めの作物、主義の為めの批評と云うものは、虚心平気で、自己対自然の時に感じた真面目な感じとは是非区別されるものと思う。 よく真面目と云う・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・、鼠地の縞物で、お召縮緬の着物と紫色の帯と、これだけが見えるばかり、そして恰も上から何か重い物に、圧え付けられるような具合に、何ともいえぬ苦しみだ、私は強いて心を落着けて、耳を澄して考えてみると、時は既に真夜半のことであるから、四隣はシーン・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ところが、この事件のあった二日後の同じ新聞には、既に次のような記事が出ているのだ。「流血の検挙をよそに闇煙草は依然梅田新道にその涼しい顔をそろへてをり、昨日もまた今日もあの路地を、この街角で演じられた検挙の乱闘を怖れる気色も・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・……既に子供達というものがあって見れば! 運命だ! が、やっぱし辛抱が出来なくなる。そして、逃げ廻る。…… 処で彼は、今度こそはと、必死になって三四ヵ月も石の下に隠れて見たのだ。がその結果は、やっぱし壁や巌の中へ封じ込められようというこ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫