・・・休日などにはよく縁側の日向で赤ん坊をすかしている。上衣を脱いでシャツばかりの胸に子供をシッカリ抱いて、おかしな声を出しながら狭い縁側を何遍でも行ったり来たりする。そんな時でも恐ろしく真面目で沈鬱で一心不乱になっているように見える。こちらの二・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・ 寝ていると、眼は益々冴えてくるし、手や足の関節が、ボキボキと音がして、日向におっぽり放しの肥料桶みたいに、ガタガタにゆるんで、タガがはずれてしまうように感じられた。――起きて縄でもないてぇ、草履でもつくりてぇ、――そう思っても、孝行な・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着物が、秋晴れの日向に干されたりしているのを見る時、何となく目あたらしく、いかにも郊外の生活ら・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ この漆はね、先生、日向へ出して曝しておくうちに黒味が取れてだんだん朱の色が出て来ますから、――そうしてこの竹は一返善く煮たんだから大丈夫ですよなどと、しきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥を御覧なさい、奇麗で・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・そこはまア、自然かも知れんね――日蔭の冷たい、死というものに掴まれそうになってる人間が、日向の明るい、生気溌溂たる陽気な所を求めて、得られんで煩悶している。すると、議論じゃ一向始末におえない奴が、浅墓じゃあるが、具体的に一寸眼前に現て来てい・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ その隣は仮面をこしらえる家で、店の前の日向に、狐の面や、ひょっとこの面がいくつも干してある。四十余りのかみさんは店さきに横向に坐っていそがしそうに面を塗って居る。 突きあたって右へ行く。二階の屋根に一面に薺の生えて居る家がある。・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・いくら拭いても、砂が入って来て艶の出ないという白っぽい、かさっとした縁側の日向で透きとおる日光を浴びているうちに陽子は、暫らくでもいい、自分もこのような自然の裡で暮したいと思うようになった。オゾーンに充ちた、松樹脂の匂う冬の日向は、東京での・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男だ」という蔭言が、清武一郷に伝えられている。 仲平の父は日向国宮崎郡清武村に二段八畝ほどの宅地があって、そこに三棟の家を建てて住んでいる。財産として・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・低い戸の側に、沢の好い、黒い大きい、猫が蹲って、日向を見詰めていて、己が側へ寄っても知らぬ顔をしている。 そこへ弦のある籐の籠にあかすぐりの実を入れて手に持った女中が通り掛かったので、それにこの家は誰が住まっているのだと問うた。「エ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・あるいは庭に咲く日向葵、日夜我らの親しむ親や子供の顔。あるいは我らが散歩の途上常に見慣れた景色。あるいは我々人間の持っているこの肉体。――すべて我々に最も近い存在物が、彼らに対して、「そこに在ることの不思議さ」を、「その測り知られぬ美しさ」・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫