・・・この広い東京の、これだけの人数の中で、僅か数万の男女が、或る日日劇のまわりをとりまいて犇き合ったというだけのことなら、それはその日のそのことだけの見っともなさの範囲で終ったであろう。 長く尾をひいてそこから様々の問題がひき出されて来てい・・・ 宮本百合子 「「健やかさ」とは」
・・・を、同志林は『改造』二月号の文芸時評において、同志神近市子は『日日新聞』月評において、それぞれ反駁、批判を発表した。 私は、これらの反駁、批判を注意ぶかく読んで、自身の論文について多くのことを学んだと同時に、それらの反駁、批判それぞれが・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・ 婦人民主新聞は、これらの人々の努力と読者の支援によって、だんだん新聞らしくなり、生活的になり、歴史のすすみゆく日日に役割をふかめてきている。婦人民主クラブと婦人民主新聞が、はじめからきょうまで平和のために発言しつづけてきていることは注・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
・・・急に立って東京に向ったが、汽車の中で日日新聞に出ていた小穴隆一さんのスケッチを見、涙が迫って堪え難かった。あのスケッチを見た人は誰でも芥川さんがいとしいと思ったでしょう。純なよきものが現れていて、これを描いた人はどんなに彼を理解し愛していた・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・ 近頃熾に東京日日新聞で、日本新八景の投票を募っているが、あれなど、どういう眼目で新八景を選出しようというのか。那須も塩原も、十位の外に洩れまいとして滞留客へまで帳面を廻し、ハガキ百枚、二百枚と寄附して貰い、三井さんが一万枚寄附して下す・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・その状態のうちに日日夜々は寂しい内容をもって翔び去って、過去に属してしまった。 今、緘口がとかれ、とかれたという感じは、まざまざとして、現にこうして堂々と新聞にこれ迄知られ乍ら語られなかった事実の一片が示されている。○は云うに云えない精・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・ 日日新聞や、朝日新聞、そのほか山ほどあるいろいろの婦人雑誌でも、古くから「身の上相談」はやっていますが、あなたのような問いは、今の世の中にどんなにか多くの婦人が苦しんでいることだのに一つものせられない。何故でしょうか。ああいう新聞や婦・・・ 宮本百合子 「「我らの誌上相談」」
福岡日日新聞の主筆猪股為治君は予が親戚の郷人である。予が九州に来てから、主筆はわざわざ我旅寓を訪われたので、予は共に世事を談じ、また間まま文学の事に及んだこともあった。主筆は多く欧羅巴の文章を読んで居て、地方の新聞記者中に・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫