・・・ 二 その日のかれこれ同じ時刻に、この家の外を通りかかった、年の若い一人の日本人があります。それがどう思ったのか、二階の窓から顔を出した支那人の女の子を一目見ると、しばらくは呆気にとられたように、ぼんやり立ちすくんで・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑って・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・歌という詩形を持ってるということは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何よりも可愛いから歌を作る。しかしその歌も滅亡する。理窟からでなく内部から滅亡する。しかしそれはまだまだ早く滅・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・それじゃあ君それは日本人の時代でもなければ精神でもないよ。吾々が時代の人間になるのではない、吾々即時代なのだ。吾々以外に時代など云うものがあってたまるものか。吾々の精神、吾々の趣味、それが即時代の精神、時代の趣味だよ。 いや決してえらい・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・文部省が音楽取調所を創設した頃から十何年も前で、椿岳は恐らく公衆の前でピヤノを弾奏した、というよりは叩いた最初の日本人であろう。(このピヤノは後に吉原の彦太楼尾張屋の主人が買取った。この彦太楼尾張屋の主人というは藐庵や文楼の系統を引いた当時・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかしながら日本人お互いに今要するものは何であるか。本が足りないのでしょうか、金がないのでしょうか、あるいは事業が不足なのでありましょうか。それらのことの不足はもとよりないことはない。けれども、私が考えてみると、今日第一の欠乏は Life ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・また、小さな日本の国が、大きな国と戦って、勝つことができたのは、日本人にこの精神があったからです。貧乏をしてもけっして曲がった考えを持ってはならないし、困っているものがあったら、自分の二つあるものは、一つ分けてやるようにしなければなりません・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・ 思えば、きょうこの頃の日本人は、猫も杓子もおきまりの紋切型文句を言い、しかも、その紋切型しか言わなくなってしまったが、私は猫にも杓子にもなりたくないから、かえすがえすも紋切型を避けたいとは思う。しかし、大阪の闇市場のことを書くとすれば・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・「それは、ある日本人が欧羅巴へ旅行に出かけるんです。英国、仏蘭西、独逸とずいぶんながいごったごたした旅行を続けておしまいにウィーンへやって来る。そして着いた夜あるホテルへ泊まるんですが、夜中にふと眼をさましてそれからすぐ寝つけないで、深・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・『お前は日本人か。』『ハイ日本人でなければ何です。』『夷狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからずというのが先王の教えだ、君、臣を使うに礼をもってし臣、君に事うるに忠をもってす、これが孔子の言葉だ、・・・ 国木田独歩 「初恋」
出典:青空文庫