・・・ 日本女子大学の英文科予科に一学期ほどいたことがある。ここの学校でも心に刻まれているのは、構内の雑木林である。網野菊、丹野禎子という友達たちと、そこで喋った雑木林が忘られない。学校そのもの、女学生そのものについて、いい感じはなかった・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・そして日本女子大学と英学塾とは早速大学に昇格するための運動を開始した。井上秀子女史が戦時中日本女子大学校長としてどのように熱心に戦争遂行に協力したかは当時の学生たちが、自分たちの経験した過労、栄養不良、勉学不能によって骨の髄まで知りつくして・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・ 確にそれは日本婦人だった。日本女子大学卒業生型の日本女性代表だ。――が、大体これらの写真はおかしい。一枚の成人教育課程終了者群の写真も無い。淑女紳士の写真だけである。足の下には敷かぬ絨毯を前景に拡げ、背後の蔦とともに綺麗に並んだトイン・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫