・・・…… 年増分が先へ立ったが、いずれも日蔭を便るので、捩れた洗濯もののように、その濡れるほどの汗に、裾も振もよれよれになりながら、妙に一列に列を造った体は、率いるものがあって、一からげに、縄尻でも取っていそうで、浅間しいまであわれに見える・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・―― 磯浜へ上って来て、巌の根松の日蔭に集り、ビイル、煎餅の飲食するのは、羨しくも何ともないでしゅ。娘の白い頤の少しばかり動くのを、甘味そうに、屏風巌に附着いて見ているうちに、運転手の奴が、その巌の端へ来て立って、沖を眺めて、腰に手をつ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・とも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何蕨でも生えてりゃ小児が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・五十の上だが、しゃんとした足つきで、石いしころみちを向うへ切って、樗の花が咲重りつつ、屋根ぐるみ引傾いた、日陰の小屋へ潜るように入った、が、今度は経肩衣を引脱いで、小脇に絞って取って返した。「対手も丁度可かったで。」一人で駕籠を下すのが、腰・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・それでわれ知らず日蔭者のように、七、八日奥座敷を出ずにいる。家の人たちも省作の心は判然とはわからないが、もう働いたらよかろうともえ言わないで好きにさしておく。 この間におはまは小さな胸に苦労をしながら、おとよ方に往復して二人の消息を取り・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早社会の寄生虫では無い、食客では無い、幇間では無い。文人は文人として堂々社会に対する事が出来る。 今日の若い新らしい作家・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
ある、小学校の運動場に、一本の大きな桜の木がありました。枝を四方に拡げて、夏になると、その木の下は、日蔭ができて、涼しかったのです。 子供たちは、たくさんその木の下に集まりました。中には、登って、せみを捕ろうとするものがあれば、ま・・・ 小川未明 「学校の桜の木」
光線の明るく射す室と、木影などが障子窓に落ちて暗い日蔭の室とがある。 其等の、さま/″\の室の中には生活を異にし、気持を異にした、いろ/\な、相互いに顔も知り合わないような人が住んでいる。 賑かな町に住んでいる人は、心を浮き立・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・外はクワッと目映しいほどよい天気だが、日蔭になった町の向うの庇には、霜が薄りと白く置いて、身が引緊るような秋の朝だ。 私が階子の踏子に一足降りかけた時、ちょうど下から焚落しの入った十能を持って女が上ってきた。二十七八の色の青い小作りの中・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・新聞記者は治に居て乱を忘れなかったのだ。日蔭者自殺を図るなどと同情のある書き方だった。柳吉は葬式があるからと逃げて行き、それきり戻って来なかった。種吉が梅田へ訊ねに行くと、そこにもいないらしかった。起きられるようになって店へ出ると、客が慰め・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫