・・・ 春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 一年、激しい旱魃のあった真夏の事。 ……と言うとたちまち、天に可恐しき入道雲湧き、地に水論の修羅の巷の流れたように聞えるけれど、決して、そんな、物騒な沙汰ではない。 かかる折から、地方巡業の新劇団、女優を主とした帝都の有名なる・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・こんど、どこか旱魃の土地の噂でも聞いた時には、私はこの着物を着てその土地に出掛け、ぶらぶら矢鱈に歩き廻って見ようと思っている。沛然と大雨になり、無力な私も、思わぬところで御奉公できるかも知れない。私には、単衣はこの雨着物の他に、久留米絣のが・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ 二マイルも離れた川から水路を掘り通して旱魃地に灌漑するという大奮闘の光景がこの映画のクライマックスになっているが、このへんの加速度的な編集ぶりはさすがにうまいと思われる。 ただわれわれ科学の畑のものが見ると、二マイルもの遠方から水・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・しかし実は産地の旱魃のためであった。近ごろの新聞には、亭主が豆腐を一人で食ってしまって自分に食わせないという理由で自殺した女房のことが伝えられた。まさかこれほどではないまでも歴史の中にはこれに類するものが存外にたくさんあるであろうと想像され・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・高橋君のところは去年の旱魃がいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀するだろう。それへ較べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫れたのだからいい方だ。今年は肥料だのすっかり僕が考えてきっと去年の埋め合せを付ける。実習は苗代掘りだった。去・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・「ブドリ、おれももとはイーハトーヴの大百姓だったし、ずいぶんかせいでも来たのだが、たびたびの寒さと旱魃のために、いまでは沼ばたけも昔の三分の一になってしまったし、来年はもう入れるこやしもないのだ。おれだけでない。来年こやしを買って入れれ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・須井一の『綿』、小林多喜二の『不在地主』『沼尻村』、金親清の『旱魃』などの歴史的意義をもつ農村小説でも規模が違うから比較すべきでないが、これほど芸術的な力は見せなかった。」といい「プロレタリア文学においても現在の中心問題となっている」のは「・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
・・・苦しさ、この苦しさは旱魃だ。乾く。心が痛み、強ばり罅が入る。 私はどうかして一晩夢中で悲しみ、声をあげて泣き、この恐ろしい張りつめた心の有様から逃れたい。私の感傷は何処に行った。ああ本当に泣けさえしたら! 考えて見れば、私は、彼の行・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
出典:青空文庫