・・・溪間の温泉宿なので日が翳り易い。溪の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時頃溪向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻や蜂の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・軽い胸の病気に伴い易い神経衰弱にもかゝっていた。そして頭の中に不快なもがもがが出来ていた。「これ二反借って来たんは、丸文字屋にも知らんのじゃけど……」 もう行ったことに思っていたお里が、また枕頭へやって来た。「あの、品の肩掛けと・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・即ち月曜日には孟子、火曜日には詩経、水曜日には大学、木曜日には文章規範、金曜日には何、土曜日には何というようになって居るので、易いものは学力の低い人達の為、むずかしいものは学力の発達して居るもののためという理窟なのです。それで順番に各自が宛・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・御前彫刻などには大抵刀の進み易いものを用いて短時間に功を挙げることとする。なるほど、火、火とのみ云って、火の芸術のみを難儀のもののように思っていたのは浅はかであったと悟った。「なるほど。何の道にも苦しい瀬戸はある。有難い。お蔭で世界を広・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・「それは醗酵し易い麦飯を食って、運動が不足だからですよ。」 と、このお抱え医者は事もなげに云って、それでも笑った。 そのことがあってから、俺は屁の事について考えた。此処にいると、どんなに些細なことに対しても、二日も三日もとッくり・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・が顔に花散る容子を御参なれやと大吉が例の額に睨んで疾から吹っ込ませたる浅草市羽子板ねだらせたを胸三寸の道具に数え、戻り路は角の歌川へ軾を着けさせ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・と言って大切にしてくれる蜂谷ほどには、蜂谷の細君の受けも好くなくて、ややもすると機嫌を損ね易いということも、一層おげんの心を東京へと急がせた。この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟達を見る楽しみがあり、その弟達に逢ってこれから将来の方針・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・子安が着いて見ると案外心易い、少壮な学者だ。 こうなると教員室も大分賑かに成った。桜井先生はまだ壮年の輝きを失わない眼付で、大きな火鉢を前に控えて、盛んに話す。正木大尉は正木大尉で強い香のする刻煙草を巻きながら、よく「軍隊に居た時分」を・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・印刷所の手落ちでは無く、兄がちゃんと UMEKAWA と指定してやったものらしく、uという字を、英語読みにユウと読んでしまうことは、誰でも犯し易い間違いであります。家中、いよいよ大笑いになって、それからは私の家では、梅川先生だの、忠兵衛先生・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ 子供、……七歳の長女も、ことしの春に生れた次女も、少し風邪をひき易いけれども、まずまあ人並。しかし、四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。這っ・・・ 太宰治 「桜桃」
出典:青空文庫