・・・ このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。 こういうことができるというのが日本人なのである。 こういうふう・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・この効果の最も著しく感ぜられる場合は、たとえば茂みの中を鉄砲を持って前進する猟者を側面から映写しながら追跡する場合である。スクリーンと自分の目とが静止しているとは思われなくて、スクリーンが猟者といっしょに進行するのを、絶えず目を横に動かして・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・ 幻燈というものがまだ珍しいものであったころ、亮がガラス板にかいた絵を、そのまま紙の小さなスクリーンに映写し、友だちを集めて幻燈会をやった事もあった。つまらないような事ではあるが、そういうふうの一種のオリジナリティもない事はなかった。・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ 一九三〇年、文化宣伝列車にのりこんで遠く農村へまで行ったのはコムソモールのウダールニクのほかに映画の撮影・映写隊、劇場からのウダールニク、ロシア・プロレタリア作家連盟からの若い作家達、音楽家と舞踊家、画家などであった。 芸術ウダー・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・に於ける映写は、非常に安い料金で、ソユーズ・キノの移動隊が「クラブ」の為めに特別に作った映画を見せてくれる。みんなは、その映画をどしどし批判してソユーズ・キノの活動を活溌にしている。「労働者クラブ」の一ばん大きいのは鉄道従業員のクラブで、印・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの「労働者クラブ」」
・・・ 私は家を出るときから斯うした冬の夜に歩くという事や、始めて活動専門のああいうところに入って見るという好奇心やその映写されるものをうれしがる心等がごっちごっちになって訳のわからない気持になって居たんでしたのに、アア、私はもう一足も進みた・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・そこで製作されるソヴェト・フォードは、小さい赤旗をヘッド・ライトの上にひるがえしつつソユーズキノ週報で先ず映画館の映写幕の上にころがり、つづいてモスクワの新造アスファルト道をもころがりはじめた。一九二九―三〇年に、モスクワの自動車の数は足り・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
出典:青空文庫