・・・ 鐘は昼夜を問わず、時の来るごとに撞きだされるのは言うまでもない。しかし車の響、風の音、人の声、ラヂオ、飛行機、蓄音器、さまざまの物音に遮られて、滅多にわたくしの耳には達しない。 わたくしの家は崖の上に立っている。裏窓から西北の方に・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・ 踊子の栄子と大道具の頭の家族が住んでいた家は、商店の賑かにつづいた、いつも昼夜の別なくレコードの流行歌が騒々しく聞える千束町を真直に北へ行き、横町の端れに忽然吉原遊廓の家と灯とが鼻先に見えるあたりの路地裏にあった。或晩舞台で稽古に夜を・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・花時上佳 〔花時 上佳し雖レ佳慵レ命レ駕 佳しと雖も駕を命ずるに慵し都人何雑沓 都人何ぞ雑沓して来往無二昼夜一 来往すること昼夜を無するや或連レ袂歌呼 或は袂を連ねて歌呼し或謔浪笑罵 ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・そうしてその二つの眼は二つながら、昼夜ともに前を望んでいる。そうして足の眼に及ばざるを恨みとして、焦慮に焦慮て、汗を流したり呼息を切らしたりする。恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
発電所の掘鑿は進んだ。今はもう水面下五十尺に及んだ。 三台のポムプは、昼夜間断なくモーターを焼く程働き続けていた。 掘鑿の坑夫は、今や昼夜兼行であった。 午前五時、午前九時、正午十二時、午後三時、午後六時には取・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・一 婦人の妊娠出産は勿論、出産後小児に乳を授け衣服を着せ寒暑昼夜の注意心配、他人の知らぬ所に苦労多く、身体も為めに瘠せ衰うる程の次第なれば、父たる者は其苦労を分ち、仮令い戸外の業務あるも事情の許す限りは時を偸んで小児の養育に助力し、暫く・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・そこで彼は三昼夜べろべろにのんだくれ、その結果として、バタ工場に属す馬をどっかへなくしてしまった。グロデーエフは三頭馬をもっている。以前グロデーエフは何人か小作人をもっていた。現在十九歳の小作人ニコライ・クリコフを使っている。 ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 中断されたこの時期に、評論集としては、『昼夜随筆』『明日への精神』『文学の進路』などが出版されている。『文学の進路』のほかの二冊の評論集にも、文学についてのものがいくらかずつ収められていた。 この選集第十一巻には、四十二篇の文芸評・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 未亡人もりよも敵のありかを聞き出そうと思っていて、中にもりよは昼夜それに心を砕いていたが、どうしても手掛りがない。九郎右衛門や宇平からは便が絶々になるのに、江戸でも何一つしでかした事がない。女子達の心細さは言おう様がなかった。 月・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・『朝倉敏景十七箇条』は、「入道一箇半身にて不思議に国をとりしより以来、昼夜目をつながず工夫致し、ある時は諸方の名人をあつめ、そのかたるを耳にはさみ、今かくの如くに候」といっているごとく、彼の体験より出たものであるが、その中で最も目につくのは・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫