・・・ 聾になったように平気で、女はそれから一時間程の間、やはり二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の稽古をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、そのくせそのを好きなででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・もう、あと二時間、三時間たてば、ここにいる人々は、みんなどこかにか去って、しんとして暗くさびしくなってしまうのだろう。」 こんな空想が、ふと頭の中に、一片の雲のごとく浮かぶと、急にいたたまらないようにさびしくなりました。 そこを出て・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・「九時でも十時でも、俺あ時間に借りはねえ。」と寝床の中で言った。 すると、女は首を竦めて、ペロリと舌を出して私の顔を見た。何の意味か私には分らなかった。擦違うと、干鯣のような匂のする女だ。 階下へ降りてみると、門を開放った往来か・・・ 小栗風葉 「世間師」
医者に診せると、やはり肺がわるいと言った。転地した方がよかろうということだった。温泉へ行くことにした。 汽車の時間を勘ちがいしたらしく、真夜なかに着いた。駅に降り立つと、くろぐろとした山の肌が突然眼の前に迫った。夜更け・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ いや出来ようが出来まいが、何でも角でも動かねばならぬ、仮令少しずつでも、一時間によし半歩ずつでも。 で、弥移居を始めてこれに一朝全潰れ。傷も痛だが、何のそれしきの事に屈るものか。もう健康な時の心持は忘たようで、全く憶出せず、何となく痛・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・午後は午睡や散歩や、友達を訪ねたり訪ねられたりする時間にあててある。彼は電車の中で、今にも昏倒しそうな不安な気持を感じながらどうか誰も来ていないで呉れ……と祈るように思う。先客があったり、後から誰か来合せたりすると彼は往きにもまして一層滅入・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・何だか身体の具合が平常と違ってきて熱の出る時間も変り、痰も出ず、その上何処となく息苦しいと言いますから、早速かかりつけの医師を迎えました。その時、医師の言われるには、これは心臓嚢炎といって、心臓の外部の嚢に故障が出来たのですから、一週間も氷・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ その青年の顔にはわずかの時間感傷の色が酔いの下にあらわれて見えた。彼はビールを一と飲みするとまた言葉をついで、「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶い出すんです。僕一人が世間に住みつ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・欧州の政治史も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んでまだ読書の速力がおそいと思ったことすらありました。そしてただいろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・彼は普遍妥当の真理を超時間的に、いつの時代にも一様にあてはまるように説くことでは満足しなかった。彼の思想はある時代、ことに彼が生きている時代へのエンファシスを帯びていた。すなわち彼は歴史の真理を述べ伝えたかったのだ。 彼は釈迦の予言をみ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫