・・・彼は暗がりへ泥濘をはね越すように、身を寄せた。――が恵子ではなかった。ホッとすると、白分が汗をかいていたのを知った。ひとりで赤くなった。 龍介は街を歩く時いつも注意をした。恵子と似た前からくる女を恵子と思い、友だちといっしょに歩いていた・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・お前は灯はともさないと言い張るそうだが、暗がりで画がかけるのか。」とお聞きになりました。 ウイリイは仕方なしに、羽根のことをすっかりお話ししました。すると王さまは、その羽根を見せよと仰いました。 王さまはウイリイが言ったように、羽根・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・それは鳩になって、窓からとび出すはずみに、暗がりの中にこごんでいた長々の頭の髪へ、ぱたりと羽根をぶつけたからです。長々は、びっくりして目をあけて、「おや、だれかにげ出したぞ。」と、どなりました。 火の目小僧も目をさまして、「どっ・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・一つは観客席が暗がりであるための効果もあったのである。同じ効果は活動写真の場合においても考慮に加えらるべきであろう。 疾くに故人となった甥の亮が手製の原始的な幻燈を「発明」したのは明らかにこれらの刺激の結果であったと思われる。その「器械・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・あちらこちらの暗がりで笑声が聞えた。 子供は子供の見方をするように人々はまた思い思いの見方をしているであろう。自分はこの映画を見ているうちに、何だか自分のことを諷刺されるような気のするところがあった。自分の能力を計らないで六かしい学問に・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・一つの可能性は、上記の浴室の軒の明かり窓の光が一時消えていたのが突然ぱっと一時に明るくなったと仮定すると、その光の帯が暗がりになれていた人の横目には一方から一方に移動する光のように感ぜられたのではないかということである。火花の実験の場合にお・・・ 寺田寅彦 「人魂の一つの場合」
・・・裂目を洩れて斜めに大理石の階段を横切りたる日の光は、一度に消えて、薄暗がりの中に戸帳の模様のみ際立ちて見える。左右に開く廻廊には円柱の影の重なりて落ちかかれども、影なれば音もせず。生きたるは室の中なる二人のみと思わる。「北の方なる試合に・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・界が、一様の程度で彼らの眼に暗く映る間は、彼らが根柢ある人生の活力の或物に対して公平に無感覚であったと非難されるだけで済むが、いやしくもこの暗い中の一点が木村項の名で輝やき渡る以上、また他が依然として暗がりに静まり返る以上、彼らが今まで所有・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
暗くしめっぽい一つの穴ぐらがある。その穴ぐらの底に一つの丸い樽がころがされてあった。その樽は何年もの間、人目から遮断されたその暗がりにころがされていて、いそがしく右往左往する人々は、その穴ぐらをふさいでいる厚板の上をふんで・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・うす暗がりの部屋の裡で恐ろしく集った人の群は魔の影の様に音もなくひしひしと中央にせまって来る。どっかで淋しいすすり泣きの声が響き、十字架を置いて出た第一の若僧は手に普通の人の着る着物を持って戸口に引きしまった青い顔をして立つ。人・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫