・・・心暫くも安らかなるなし、一度梟身を尽して、又新に梟身を得、審に諸の苦患を被りて、又|尽ることなし。」 俄かに声が絶え、林の中はしぃんとなりました。ただかすかなかすかなすすり泣きの声が、あちこちに聞えるばかり、たしかにそれは梟のお経だった・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・煩いのない静かなところに旅行して暫く落ちついてみたい――こんな慾望を持っていますが、さて容易いようで実行できないものですね。住いですか? これには面白い話しがありますのよ。今いる家は静かそうに思って移ったのですが、後に工場みたいなものがあっ・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・八時の鐸が鳴って暫くすると、課長が出た。 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類を portefeuille から出して、硯箱の蓋を取って、墨を磨るのを見ている。墨・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・彼女はその日まだ良人から手紙を受けとっていなかった。暫くすると、灸の頭の中へ女の子の赤い着物がぼんやりと浮んで来た。そのままいつの間にか彼は眠ってしまった。 翌朝灸はいつもより早く起きて来た。雨はまだ降っていた。家々の屋根は寒そうに濡れ・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・ 己が会釈をすると、エルリングは鳥打帽の庇に手を掛けたが、直ぐそのまま為事を続けている。暫く立って見ている内に、階段は立派に直った。「お前さんも海水浴をするかね」と、己が問うた。「ええ。毎晩いたします。」「泳げるかね。」・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ フィンクは暫くぼんやり立っていた。そしてこう思った。なるほどどこにもかしこにも、もう人が寝ているのだな。こう思って壁と併行にそろそろ歩き出した。そして一番暗い隅の所へ近寄って来た時、やっと長椅子の空場所があった。そこへがっかりして腰を・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・仰って、いまは、透き通るようなお手をお組みなされ、暫く無言でいらっしゃる、お側へツッ伏して、平常教えて下すった祈願の言葉を二た度三度繰返して誦える中に、ツートよくお寐入なさった様子で、あとは身動きもなさらず、寂りした室内には、何の物音もなく・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫