・・・ 少年と犬との影が突然消えたと思うと、その曲がり角のすぐ上の古木、昔のままのその枝ぶり、蝉のとまりどころまでが昔そのままなる――豊吉は『なるほど、今の児はあそこへ行くのだな』とうれしそうに笑ッて梅の樹を見上げて、そして角を曲がった。・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・唯、幌の覗き穴を通して、お玉を乗せた俥の先に動いて行くのと、町の曲り角へでも来た時に前後の車夫が呼びかわす掛声とで、広々としたところへ出て行くことを感じた。さんざん飽きるほど乗って、やがて俥はある坂道の下にかかった。知らない町の燈火は夜見世・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・町のほうへ、一息に走って行った。町の曲がり角で、急に車が停まるとか、また動き出すとか、何か私たちの乗り心地を刺激するものがあると、そのたびに次郎と末子とは、兄妹らしい軽い笑みをかわしていた。次郎が毎日はく靴を買ったという店の前あたりを通り過・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・かなたの山の曲り角に、靄に薄れて白帆が行く。目の迷いかと眸を凝らしたが、やっぱり帆である。しかし藤さんの船はぜひとも前からの白帆と定めたい。遠い分はよく見えぬ。そして、間もなく靄の中に消えてしまうのである。よく見えて永く消えないのが藤さんの・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・突然向うの曲り角から愉快な子供の笑い声が起って周圍の粛殺を破った。あたかも老翁の過去の歓喜の声が、ここに一時反響しているかのごとく。 寺田寅彦 「凩」
・・・そうして河向いの高い塀の曲り角のところの内側に塔のような絞首台の建物の屋根が少し見えて、その上には巨杉に蔽われた城山の真暗なシルエットが銀砂を散らした星空に高く聳えていたのである。 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・彼は近所のあらゆる曲がり角や芝地や、橋のたもとや、大樹のこずえやに一つずつきわめて格好な妖怪を創造して配置した。たとえば「三角芝の足舐り」とか「T橋のたもとの腕真砂」などという類である。前者は川沿いのある芝地を空風の吹く夜中に通・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・そうかと思うと、村はずれのうすら寒い竹やぶの曲がり角を鳥刺し竿をもった子供が二三人そろそろ歩いて行く。こんな幻像を夢うつつの界に繰り返しながらいつのまにかウトウト眠ってしまう。看護婦がそろそろ起き出して室内を掃除する騒がしい音などは全く気に・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
・・・そこの曲り角の処で荷物をほごしている。曲り角には家はないはずである。分からない。どう考えてもこの蒲団の行方は分からない。余所の蒲団の行先は分からない。 この角の向側に牛肉屋の豊国がある。学生の頃の最大のラキジュリーは豊国の牛鍋であった。・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・廊下の曲り角を廻る時にはよくわかった。北の階段を下りる時には何だか少し気分が悪かった。いよいよ玄関を出る時、何となく大勢の人が好奇や同情やいろいろの眼で見送っているような気がした。いよいよ出かける時になって始めて中村先生の声がすぐ側に聞えた・・・ 寺田寅彦 「病中記」
出典:青空文庫