・・・かなり目方のある斜子であったが、絵甲斐機の胴裏が如何にも貧弱で見窄らしかったので、「この胴裏じゃ表が泣く、最少し気張れば宜かった」というと「何故、昔から羽織の裏は甲斐機に定ってるじゃないか、」と澄ました顔をしていた。それから、「この頃は二子・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・であったが、とにかく一家はそのつもりになって、穴を掘って食料を埋めたり、また鍋釜茶碗の類を一揃、それから傘や履物や化粧品や鏡や、針や糸や、とにかく家が丸焼けになっても浅間しい真似をせずともすむように、最少限度の必需品を土の中に埋めて置く事に・・・ 太宰治 「薄明」
・・・ 案内記が詳密で正確であればあるほど、これに対する信頼の念が厚ければ厚いほど、われわれは安心して岐路に迷う事なしに最少限の時間と労力を費やして安全に目的地に到着することができる。これに増すありがたい事はない。しかしそれと同時についその案・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・しかしその時には自分を始め誰一人霊廟を訪おうというものはなく、桜餅に渋茶を啜りながらの会話は如何にすれば、紅葉派全盛の文壇に対抗することが出来るだろうか。最少し具体的にいえばどうしたら『新小説』と『文芸倶楽部』の編輯者がわれわれの原稿を買う・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ この怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手数が省ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽根性の方もまた自由わがままのできる限り・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・現代史のふたまたにかかってひき裂かれるにまかせておいたり、さもなければ、生きようとする本能と最少抵抗線をたどりやすい日本の精神の体質にまかせて、どっちかの木の股にすがりついてしまうにまかせておくことは歴史の前に許されない。その責任を痛切にわ・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ 作家は、一層労働者生活の現実に即し、文学におけるプロレタリア・リアリズムのために各産業別に組織されるべきだ、そして、一年に、どの産業では最少限何篇の小説、戯曲を、どの産業では散文、詩、各何篇という風に計画的に製作したらどうか。この場合・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・女学校の今日の教育は、女が平凡な肉体と平凡な日常生活の軌道をもって過してゆくためには最少限の役に立っているであろうが、一旦現実が紛糾して、例えば一人の女の体に新聞記事に仄めかされているような生理的欠陥が現れたような場合、その不幸に対して先ず・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・が、理解と感情との最少のきらめきがあれば、私は再び全く幸福である。そして、彼女が物事を私と同じように理解していることを信ずる」と、極めて微妙な形と物柔かさとに於てであるけれども、トルストイを最後の悲劇に導いた夫婦の間の生きる目的の分裂が仄見・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・ 嘗つて、婚約者と結婚をし得る、最少限でも希望があった間は、彼女にとって孤独な生活も、前途に何等の陰をつけませんでした。僅かの給料を唯一の資力として微に支えられて行く生活も、いざと云う時、後で手を延して呉れる者が在る間は凌ぎ得ない苦痛で・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
出典:青空文庫