・・・これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹のかきゅうに陥らず、『万葉』を・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ところがガスがいよいよ最後の岩の皮をはね飛ばすまでには、そんな塊を百も二百も、じぶんのからだの中にとらなければならない。」 大博士はしばらく考えていましたが、「そうだ、僕はこれで失敬しよう。」と言って小屋を出て、いつかひらりと船に乗・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・特に、最後の場面で再び女万歳師となったおふみ、芳太郎のかけ合いで終る、あのところが、私には実にもう一歩いき進んだ表現をとのぞまれた。このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・そして最後の苦悩の譫語にも自分の無罪を弁解して、繰り返した。『糸の切れっ端――糸の切れっ端――ごらんくだされここにあります、あなた。』 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・そこで丁度二条行幸の前寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築に改めた。最後に興律は死んだ時何歳であったか分からない。しかし万治から溯ると、二条行幸までに三十年余立っている。行幸前に役人になって長崎へ往った興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・思想の体系が一つの物体と化して撃ち合う今世紀の音響というものは、このように爆薬の音響と等しくなったということは、この度が初めでありまた最後ではないだろうかと。それぞれ人人は何らかの思想の体系の中に自分を編入したり、されたりしたことを意識して・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・それは旅人が荷物を一ぱい載せて置いた卓である。最後にフィンクの目に映じて来たのは壁に沿うて据えてある長椅子である。そこでその手近な長椅子に探り寄った。そこへ腰を落ち着けて、途中で止めた眠を続けようと思うのである。やっと探り寄ってそこへ掛けよ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・ が、この最後の「幸福の島」もまもなくヨーロッパ文明の洪水に浸された。そうして平和な美しさは洗い去られてしまった。 このような体験を持った人々は決して少なくない。スピークやグラント、リヴィングストーン、カメロン、スタンリー、シュワイ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫