有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。「或る女のグリンプス・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・文学についての新しい見かた、人間の良心というものの現実生活に即しての新局面の展開が、文学の上に行われるようになった。有島武郎、芥川龍之介という二人の作家の死は、日本文学の成長を語るとき、見落すことの出来ない凄じい底潮の反映として考えられると・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・ 国際ペンクラブ第十四回大会は、この年九月五日から十日間、アルゼンチン首府、ブェノスアイレスに開催され、日本からはじめて島崎藤村、有島生馬の二氏が代表として出席した。大会は、国際事情の複雑な背景を負うた。同じ六月ロンドンで第二回会議を持・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ この新興文学の社会的背景が、ヨーロッパ大戦後の日本の社会の現実的な生活感情と如何に血肉的に結ばれていたものであったかと云うことは、有島武郎の「宣言一つ」などを見ても、今日まざまざと理解することが出来る。この「宣言一つ」には、新たな歴史・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・プロレタリアの陣営にうつるか、同伴者として存在するか、反動にかたまるか、脱落するか、インテリゲンツィアの行く道は、そういうふうに幾通りかに単純化されていて、たとえば有島武郎にしろ、芥川龍之介にしろ、自身の生死と人民解放運動とを、あんなに深刻・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・透谷、二葉亭、独歩、漱石、鴎外、芥川龍之介、有島武郎、小林多喜二などの例が、それぞれの形で、この事実を語っている。 今日、日本のインテリゲンツィアのもっている苦悩は、日本の歴史のそのような系統をひいているものではあるが、内容は変化して来・・・ 宮本百合子 「誰のために」
・・・ そののち、権力・金力そして人間性の課題を、その人の生きた時代の精神と肉体の全力で解こうとした有島武郎の一生について、わたくし達は、日本の社会史の一節として消すことの出来ない感銘をうけている。 ところで、このごろの学習院へ漱石をつれ・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
・・・仕事出来ず 七月八日 朝食堂にゆく 有島氏の死 四十六歳 九日 告別式 十日 髪を洗う 十一日 風の強い、始めての蝉の声 夏らしい日 七月三十一日 福井に来 九月一日 大地・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
六月下旬にパリで四日間に亙って開催された国際ペンクラブの第十五回大会に、有島生馬氏や井上勇氏、久米正雄氏などが出席したことが新聞に出ている。その議事日程の中、委員付託による四つの問題の検討がされている。世界文学に今日のスタ・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
出典:青空文庫