・・・ ヤ、有難う。と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭を眺めた。 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後の樹下に鳴いているのだろう、秋蝉・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・お前何時頃出れるか分らないかときいたら、ハイお母さん有難うございますッて云うんだよ。俺びっくりしてしまった。これ、進や、お前頭悪くしたんでないかッて云ったら、お母アの方ば見もしないで、窓の方ば見たり、自分の爪ば見たりして、ニヤ/\と笑うんだ・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・三人の友人と、佐吉さんと、私と五人、古奈でも一番いい方の宿屋に落ちつき、いろいろ飲んだり、食べたり、友人達も大いに満足の様子で、あくる日東京へ、有難う、有難うと朗らかに言って帰って行きました。宿屋の勘定も佐吉さんの口利きで特別に安くして貰い・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・この懊悩よ、有難う。 私は、自身の若さに気づいた。それに気づいたときには、私はひとりで涙を流して大笑いした。 排除のかわりに親和が、反省のかわりに、自己肯定が、絶望のかわりに、革命が。すべてがぐるりと急転廻した。私は、単純な男である・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・「有難うごす。きょうはまた、どこからかのお帰りですか。おそいねす。」「おれか? いや、どこの帰りでもねえ。まっすぐに、ここさ来たのだ。」 どうも私は駈引きという事がきらいで、いや、駈引きしたいと思っても、めんどうくさくて、とても・・・ 太宰治 「嘘」
・・・自分をぶん殴り、しばりつける人、ことごとくに、「いや、有難うございました。お蔭で私の芸術も鼓舞されました。」とお辞儀をして廻らなければならなくなった。駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。 太宰治 「駈込み訴え」
・・・彼は、ふんと笑って、いや有難う、と言った。大隅君が渡支して五年目、すなわち今年の四月中旬、突然、彼から次のような電報が来た。 ○オクツタ」ユイノウタノム」ケツコンシキノシタクセヨ」アスペキンタツ」オオスミチユウタロウ 同時に電報為替・・・ 太宰治 「佳日」
・・・丁度持合せていたMCCかなんかを進呈してマッチをかしてやったら、「や、こりゃあ有難う有難う」と何遍もふり返っては繰返しながら行過ぎた。往来の人が面白そうににこにこして見ていた。甚だ平凡な出来事のようでもあるが、しかしこの事象の意味がいまにな・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・砂書きの御婆さん「へー有難う、もうソチラの方は御済になりましたかなー、もうありませんかなー。」へー有難うこれから当世白狐伝を御覧に入れる所なり。魔除鼠除けの呪文、さては唐竹割の術より小よりで箸を切る伝まで十銭のところ三銭までに勉強して教える・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
出典:青空文庫