あさくらし【朝倉市】
⇒朝倉
あさくらたかかげ【朝倉孝景】
[1428〜1481]室町中期の武将。敏景 (としかげ) ともいう。斯波 (しば) 氏に仕えていたが、内紛に乗じて越前を領し、一乗谷 (いちじょうだに) に築城。応仁の乱で斯波氏に代わって越前守護となった。
あさくらたかかげじょうじょう【朝倉孝景条々】
戦国時代の朝倉氏の分国法。孝景が制定し、人材登用、家臣団の統制、節倹などの要点を17条に規定したもの。朝倉敏景十七箇条。
あさくらとしかげ【朝倉敏景】
⇒朝倉孝景 (あさくらたかかげ)
あさくらとしかげじゅうしちかじょう【朝倉敏景十七箇条】
⇒朝倉孝景条々 (あさくらたかかげじょうじょう)
あさくらのたちばなのひろにわのみや【朝倉橘広庭宮】
福岡県朝倉市須川(あるいは山田とも)に置かれたとされる斉明天皇の行宮 (あんぐう) 。天皇は百済 (くだら) 救援のためみずから九州に下り、661年、ここで崩御。朝倉宮 (あさくらのみや) 。朝倉木丸殿 (あさくらきのまろどの) 。
あさくらふみお【朝倉文夫】
[1883〜1964]彫刻家。大分の生まれ。官展で活躍。写実主義の作品をつくる。文化勲章受章。
あさくらよしかげ【朝倉義景】
[1533〜1573]戦国時代の武将。元亀元年(1570)浅井氏とともに、近江 (おうみ) 姉川で織田信長と戦って敗れ、のち、居城一乗谷で自刃。