・・・ 手前たちは木偶の棒だ。卑怯者だ。この子供がたとえばふだんいたずらをするからといって、今もいたずらをしたとでも思っているのか。こんないたずらがこの子にできるかできないか、考えてもみろ。可哀そうに。はずみから出たあやまちなんだ。俺はさっきから・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ 私は決してまるで動かない木偶の様な人間になる位なら死んだ方が増しだと云う程に感じて居るけれ共又、仕切(りなしに動かされて居る事は何だか不安でもあるのです。 動くにしても私は深さに動かされ度い。 足元が定まらない様に前後左右・・・ 宮本百合子 「動かされないと云う事」
・・・ ルネッサンス時代の人間性の主張は、疑いもなく、木偶のようであった人物を、笑い、怒り、わめく形相さまざまの人間として解放した。レオナルド・ダ・ヴィンチは、聖母でもなければ天女でもない人間の女性像モナリザを描いた。このジョコンダの微笑は、・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 自分は、一言一言で母親を木偶につかっている権力の喉を締めるように、「私は、金なんぞ、だ、し、て、はいない」と云った。「わかったこと? 私は、だ、し、てはいないのよ」 母親のそばへずっとよって、耳元で云った。「おっか・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・小僧ってものは扉口んところへ木偶のようにじっと立っているもんだ」 凝っと立っていることが、活々した子供のゴーリキイにはなかなか出来ない。しかも両腕は肱の辺までべた一面痣やかさぶたで、掻くなと云われても、掻かずにはいられないのであった。主・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫