・・・さちよは、不思議であった。木炭紙を裏返してみると、父の字で、女はやさしくあれ、人間は弱いものをいじめてはいけません、と小さく隅に書かれていた。はっ、と思った。 そうして、父は、消えるようにいなくなった。画の勉強に、東京へ逃げて行った、と・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・向い側でお千代ちゃんが木炭紙へ墨で幾枚も絵を描いた。女の絵であった。「――お千代ちゃん絵うまいのね」「そーお。――私絵やろうかしら」 由子は頭をふり上げ、「いいわ、そりゃいいわ」と熱心に賛成した。「お千代ちゃん絵はき・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・一九一六年の夏のはじめに書き終ったが、誰に見せようとも思わず、ひとりで綴じて、木炭紙に自分で色彩を加えた表紙をつけた。けれども、しまっておけなくて、女学校のときからやはり文学がすきで仲よしであった坂本千枝子さんという友達が、白山の奥に住んで・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・ツルツルの西洋紙を、何枚も菊半截ぐらいの大さに切って木炭紙へケシの花を自分で描いて表紙とし、桃色の布でとじた。そこへ、筆で毎日何か書いて行った。 どんな筋だったか、まるで覚えないが、何でも凄い恋愛小説だったことだけは確かだ。 或る夜・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
・・・ 千世子が気まぐれに時々水彩画を描く木炭紙を棚から下してそれを四つに切ったのに器用な手つきで炬燵につっぷして居る銀杏返しの女の淋しそうな姿を描いて壁に張りつけて眼ばたきを繁くしながらよっかかる様な声で云った。「冬中私の一番沢山す・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・題はついていたのか、いなかったのか、なかみを書く紙は大人の知らない間にどこからか見つけ出して来て白い妙にツルツルした西洋紙を四六判截ぐらいに切ったものを厚く桃色リボンで綴じ、表紙の木炭紙にはケシの花か何かを自分で描いた。ペンにインクをつけて・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
出典:青空文庫