・・・(僕は木目や珈琲茶碗の亀裂一角獣は麒麟に違いなかった。僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思い出し、この十字架のかかった屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。「如何ですか、この頃は?」「不相変神経ばかり苛々・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ と翁が呼ぶと、栗鼠よ、栗鼠よ、古栗鼠の小栗鼠が、樹の根の、黒檀のごとくに光沢あって、木目は、蘭を浮彫にしたようなのを、前脚で抱えて、ひょんと出た。 袖近く、あわれや、片手の甲の上に、額を押伏せた赤沼の小さな主は、その目を上ぐるとひ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・その声の艶に媚かしいのを、神官は怪んだが、やがて三人とも仮装を脱いで、裸にして縷無き雪の膚を顕すのを見ると、いずれも、……血色うつくしき、肌理細かなる婦人である。「銭ではないよ、みんな裸になれば一反ずつ遣る。」 価を問われた時、杢若・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 一つ、大きなもの音のしたあとは、目の前の階子段も深い穴のように見えて、白い灯も霜を敷いた状に床に寂しい。木目の節の、点々黒いのも鼠の足跡かと思われる。 まことに、この大旅館はがらんとしていた。――宵に受持の女中に聞くと、ひきつづき・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 山霧の冷いのが――すぐ外は崖の森だし――窓から、隙間から、立て籠むと見えて、薄い靄のようなものが、敷居に立って、それに木目がありそうに見える。ところで、穿いた草履が、笹葉でも踏む心持にバサリとする。……暗い中に、三つ並んでいるんです。・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・それがまた煤やら垢やらで何の木か見別けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いとこでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目も判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠なども打ってある。その釘隠が馬鹿に大きい雁であった・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・就中椿岳が常住起居した四畳半の壁に嵌込んだ化粧窓は蛙股の古材を両断して合掌に組合わしたのを外框とした火燈型で、木目を洗出された時代の錆のある板扉の中央に取附けた鎌倉時代の鉄の鰕錠が頗る椿岳気分を漂わしていた。更にヨリ一層椿岳の個性を発揮した・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ おれたちには裏の薄汚く赤ちゃけた木目だけを見せているが、あのおもてには、なんと書かれてあるか。人間たちはそれを読むのだよ。耳の光るのが日本の猿だ、と書かれてあるのさ。いや、もしかしたら、もっとひどい侮辱が書かれてあるのかも知れないよ。」・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・佐竹の顔は肌理も毛穴も全然ないてかてかに磨きあげられた乳白色の能面の感じであった。瞳の焦点がさだかでなく、硝子製の眼玉のようで、鼻は象牙細工のように冷く、鼻筋が剣のようにするどかった。眉は柳の葉のように細長く、うすい唇は苺のように赤かった。・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・伏目につつましく控えている碧い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃色の唇も相当なものである。肌理の細かい女のような皮膚の下から綺麗な血の色が、薔薇色に透いて見える。黒褐色の服に雪白の襟と袖口。濃い藍色の絹のマントをシックに羽織っている。この画は伊・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫