・・・ 正門前で自動車から降りて、見ると、学校は渋柿色の木造建築で、低く、砂丘の陰に潜んでいる兵舎のようでありました。玄関傍の窓から、女の人の笑顔が三つ四つ、こちらを覗いているのに気が附きました。事務の人たちなのでありましょう。私は、もっとい・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・そこへ大正十二年の大震災が襲って来て教室の建物は大破し、崩壊は免れたが今後の地震には危険だという状態になったので、自分の病気が全快して出勤するようになったときは、もう元の部屋にははいらず、別棟の木造平屋建の他教室の一室に仮り住いをすることに・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・火がおよそいかなる速度でいかなる方向に燃え広がる傾向があるか、煙がどういうぐあいに這って行くものか、火災がどのくらいの距離に迫れば危険であるか、木造とコンクリートとで燃え方がどうちがうか、そういう事に関する漠然たる概念でもよいから、一度確実・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・ クラブの建物はいつか覗いてみた朝霞村のなどに比べるとかなり謙遜な木造平家で、どこかの田舎の学校の運動場にでもありそうなインテリ気分のものである。休憩室の土間の壁面にメンバーの名札がずらりと並んでいる。ハンディキャップの数で等級別に並べ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・何よりも困難なことには、内地のような木造家屋は地震には比較的安全だが台湾ではすぐに名物の白蟻に食べられてしまうので、その心配がなくて、しかも熱風防御に最適でその上に金のかからぬといういわゆる土角造りが、生活程度のきわめて低い土民に重宝がられ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・途中ところどころ家の柱のゆがんだのや壁の落ちたのが眼についた。木造二階家の玄関だけを石造にしたようなのが、木造部は平気であるのに、それにただそっともたせかけて建てた石造の部分が滅茶滅茶に毀れ落ちていた。これははじめからちょっとした地震で、必・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ 夕方藤田君が来て、図書館と法文科も全焼、山上集会所も本部も焼け、理学部では木造の数学教室が焼けたと云う。夕食後E君と白山へ行って蝋燭を買って来る。TM氏が来て大学の様子を知らせてくれた。夜になってから大学へ様子を見に行く。図書館の書庫・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・その結果として得られた規準に従って作られた家は耐震的であると同時にまた耐風的であるということは、今度の大阪における木造小学校建築物被害の調査からも実証された。すなわち、昭和四年三月以後に建てられた小学校は皆この規準に従って建てられたものであ・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ わたくしはふと大正二、三年のころ、初て木造の白髯橋ができて、橋銭を取っていた時分のことを思返した。隅田川と中川との間にひろがっていた水田隴畝が、次第に埋められて町になり初めたのも、その頃からであろうか。しかし玉の井という町の名は、まだ・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 左の方に同じような木造の橋が浮いている。見下すと河岸の石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した堀割の水は河岸通に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返をつけた黒板塀の影までをはっきり映してい・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫