・・・伝統的な士道の末期的な教養は一面で馬琴の世界に勧善懲悪の善玉悪玉をつくり出しているとともに、他の半面では既に封建の石垣がくずれようとしている現実的な力に浸潤され、より現実の市民常識への拡大が行われているのである。 明治の初期の文学では、・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・その結果、わたしたちの日常生活のあらゆる面と感情とが、古きものへのたたかいと同じ刹那に、帝国主義末期の現象であるさまざまの矛盾と衝突し、そこからの出口として、より進んだ民主主義――社会主義的民主主義を見わたさずにはいられなくなってきている。・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・第一次大戦の末期からその後にかけて市民の文学としての近代文学のうみてである中間層の社会生活は、激動をうけた。その市民としての生活感情が変化したにつれて、文学の精神も表現も、それまでの様相をかえた。 第二次大戦は、更に大規模な破壊と変貌と・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ 大きい歴史のうねりで眺めれば、明治二十年末期の『文学界』のロマンティシズムがその踵をしっかりとつかまえられていた封建の力を、殆どそれなり背面にひっぱったまま大正末から昭和の十年間という時期をも経て、今日の、或る点から云えば極めて高度な・・・ 宮本百合子 「職業のふしぎ」
・・・それにしても婦人が人間としての自分を主張しはじめ、次第に婦人の経済的独立の必要に理解をすすめてきたという点で明治末期から大正にかけての婦人解放運動は意義をもっている。 昭和のはじめ第一次世界大戦後の各国の社会主義運動の擡頭につれ、日本に・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・もはや本復は覚束ないと、忠利が悟ったとき、長十郎に「末期が近うなったら、あの不二と書いてある大文字の懸物を枕もとにかけてくれ」と言いつけておいた。三月十七日に容態が次第に重くなって、忠利が「あの懸物をかけえ」と言った。長十郎はそれをかけた。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・七日には浜町の神戸方へ、兄が末期に世話になった礼に往った。西北の風の強い日で、丁度九郎右衛門が神戸の家にいるうちに、神田から火事が始まった。歴史に残っている午年の大火である。未の刻に佐久間町二丁目の琴三味線師の家から出火して、日本橋方面へ焼・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
終始末期を連続しつつ、愚な時計の振り子の如く反動するものは文化である。かの聖典黙示の頁に埋れたまま、なお黙々とせる四騎手はいずこにいるか。貧、富、男、女、層々とした世紀の頁の上で、その前奏に於て号々し、その急速に於て驀激し・・・ 横光利一 「黙示のページ」
・・・しかしそれらの物語がさかんに書写され、したがってさかんに受用されたのが、室町末期であったことは、認めてよいであろう。その限り我々は、これらの物語において応仁以後の時代の民衆の心情に接し得るのである。 さてそのつもりでこの時代の物語を読ん・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そういう事情は明治の末期の一つの特徴であるかも知れない。というのは、そのころ有名な学者や文人には、あまり高齢の人はなく、四十歳といえばもう老大家のような印象を与えたからである。夏目漱石は西田先生の戸籍面の生年である明治元年の生まれであるが、・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫