・・・しかし僕等は本気になって互に反駁を加え合っていた。ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評していた。「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎へでも来いよ。」 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ただあなたが本気かどうか、それさえわかれば好いのです。 使 では何でも云いつけて下さい。あなたの欲しいものは何ですか? 火鼠の裘ですか、蓬莱の玉の枝ですか、それとも燕の子安貝ですか? 小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願はこれだけ・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚の煎餅しかないのだから。「白痴」 吐き出すように良人がこういった時勝負はきまっていた。妻は争い負けて大部分を掠奪されてしまった。二人はまた押黙って闇の中で足しない食物を貪り喰っ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・何んだかふざけているのではなく、本気の本気らしくなって来た。しまいには眼を白くしたり黒くしたりして、げえげえと吐きはじめた。 僕は気味が悪くなって来た。八っちゃんが急に怖わい病気になったんだと思い出した。僕は大きな声で、「婆や……婆・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なものだ。ともちゃんだって、俺たちの仲間になってくれてる以上はボヘミヤンだ。ねえ。そうだろう。かまわないから選びたまえ。俺たちはたとい選にもれても、ストイ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ こんな調子に、戯言やら本気やらで省作はへとへとになってしまった。おはまがよそ見をしてる間に、おとよさんが手早く省作のスガイ藁を三十本だけ自分のへ入れて助けてくれたので、ようやく表面おはまに負けずに済んだけれど、そういうわけだから実はお・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ そういう所へ利助もきて挨拶した、よくまア伯父さん寄てくれました、今年は雨都合もよくて大分作物もえいようでなど簡単な挨拶にも実意が見える、人間は本気になると、親身の者をなつかしがるものだ、此の調子なら利助もえい男だと思っておれも嬉しかっ・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・沼南統率下の毎日新聞社の末期が惰気満々として一人も本気に働くものがなかったのはこれがためであった。 松隈内閣だか隈板内閣だかの組閣に方って沼南が入閣するという風説が立った時、毎日新聞社にかつて在籍して猫の目のようにクルクル変る沼南の朝令・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・女房も始めは笑談にしていたが、銭占屋はどこまでも本気であった。「お前さん、それじゃ私を一時の慰物にしといて、棄てるんだね。」と女房はついに泣声を立てて詰寄せた。「慰物にしたんかしねえんか、そんなことあ考えてもみねえから自分でも分らね・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・を見せたが、しかし、お抱え俥夫から一足飛びに記者になろうというのは、町医者づきの俥夫が医者になろうというのと同然、とてものことに見込みはなかったから、いっそのこと、自身新聞社を経営してやろうと、丹造は本気で思い、この想いを毎日ガラガラ走らせ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫