・・・車は電車通から急に左へ曲り、すぐまた右へ折れると、町の光景は一変して、両側ともに料理屋待合茶屋の並んだ薄暗い一本道である。下駄の音と、女の声が聞える。 車掌が弘福寺前と呼んだ時、妾風の大丸髷とコートの男とが連立って降りた。わたくしは新築・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ わたくしが偶然枯蘆の間に立っている元八幡宮の古祠に行当ったのは、砂町海水浴場の榜示杭を見ると共に、何心なく一本道をその方へと歩いて行ったためであった。この一本道は近年つくられたものらしく、敷きつめられた砂利がまだ踏みならされていない処・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 一人ほか居ないこの村がかりの郵便配達が、さぞ可笑しい顔をしてあの一本道をよみよみ持って来た事だろうと思うと、他人に知られずにすむべき内輪の恥がパッと世間に拡がった様な気がして、居ても立っても居られない様になった。 早速、その返事の・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 画家の本道的な業績を、大局からみてこの新しい関係が高めたか、或は通俗に堕す部分を生ぜしめたかということは簡単に云い得ないけれども、文学についてみれば、或る作家たちが目下器用にこなしているこの両刀使いの方法は、少くとも、作家と読者との関・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・少し出て来た風にその薄のような草のすきとおった白い穂がざわめく間を、エンジンの響を晴れた大空のどこかへ微かに谺させつつ自動車は一層速力を出して単調な一本道を行く。 ショウモンの大砲台の内部は見物出来るようになっていた。一行が降り立ったら・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ 一言自分のために―― こんな事も思って娘のあの早口さを思い出したりしながらも昼間その家の前の一本道なんかで会うときっと道もない畑の中をわたって反対の方に行ってしまった。 おどおどしながら仙二はまだ若い娘が落ついた取りすました・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・中で眺める馬琴というような作家は、同時代の庶民的情調に立つ軟文学の気風に対して、教養派のくみであったろうが、馬琴の芸術家としての教養の実体はモラルとしての儒教に支那伝奇小説の翻案的架空性を加えたものが本道をなしていたと思える。その意味で作家・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・ 新たなリアリズムの本道を示すような健康な作品の出現が要求されているのであるが、現在の大勢では、過去のプロレタリア文学に欠けていた文学の多様性、独自性、複雑性への興味関心が熾烈である。それに連関して芸術作品の「文字の背後の雰囲気」「噛み・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 私は声をかけさえ出来ない様になって自分の呼吸の響ばかりをたよりに吹雪の中に灰色の一本道をたどらなければならなかった。 赤い小松 煤煙のためだか鉄道の線路に沿うた所に赤い小松を沢山見た。 背は低く横に広く好い・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
出典:青空文庫