一 それはある日の事だった。―― 待っていた為替が家から届いたので、それを金に替えかたがた本郷へ出ることにした。 雪の降ったあとで郊外に住んでいる自分にはその雪解けが億劫なのであったが、金は待ってい・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
明治倶楽部とて芝区桜田本郷町のお堀辺に西洋作の余り立派ではないが、それでも可なりの建物があった、建物は今でもある、しかし持主が代って、今では明治倶楽部その者はなくなって了った。 この倶楽部が未だ繁盛していた頃のことである、或年の冬・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・しかしその妻も私が本郷に下宿しておるうちにそこの娘とできやったのでございます。 二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。 ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・そこから分れた小伝馬町の店でも、孫の子息さんの代にはだんだんちいさくなって、家族も一人亡くなり、二人亡くなり、最後に残ったその子息さんまでも震災の当時には大火に追われ、本郷の切通し坂まで病躯を運んで行って、あの坂の中途で落命してしまった……・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・最近にもまた本郷の若い甥の一人がにわかに腎臓炎で亡くなったという通知を受けた。ちょうど、私の家では次郎が徴兵適齢に当たって、本籍地の東京で検査を受けるために郷里のほうから出て来ていた時であった。次郎も兄の農家を助けながら描いたという幾枚かの・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・の火が、おのおの何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷のほとんど全部、本郷、小石川、赤坂、芝の一部分が、まるで・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ ここのご主人は、本郷の大学の先生をしていらして、生れたお家もお金持ちなんだそうで、その上、奥さまのお里も、福島県の豪農とやらで、お子さんの無いせいもございましょうが、ご夫婦ともまるで子供みたいな苦労知らずの、のんびりしたところがありま・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・「悪習は除去すべきである。本郷区千駄木町五十、吉田潔。」 月日。「言わなければならぬと思いながら言えない。夏休みになったら手紙をかこうと決心した。手紙をかき度い。かかなければならぬと、思いながらなぜかけないのかということを考・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもとはまるでちがった別の町のように珍しく異様にそうして美しく眺められた。その事を云いだすと二人の子供も「オヤ、ほんとにそう・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・午前に本郷で吸った煙草の煙の数億万の粒子のうちの一つくらいは、午後に日比谷で逢った驟雨の雨滴の一つに這入っているかもそれは知れないであろう。 喫煙家は考えようでは製煙機械のようなものである。一日に紙巻二十本の割で四十年吸ったとすると合計・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
出典:青空文庫