・・・ 秋の末に帰京すると、留守中の来訪者の名刺の中に意外にも長谷川辰之助の名を発見してあたかも酸を懐うて梅実を見る如くに歓喜し、その翌々日の夕方初めて二葉亭を猿楽町に訪問した。 丁度日が暮れて間もなくであった。座敷の縁側を通り過ぎて陰気・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そしてまたこの家の主人に対して先輩たる情愛と貫禄とをもって臨んでいる綽々として余裕ある態度は、いかにもここの細君をしてその来訪を需めさせただけのことは有る。これに対座している主人は痩形小づくりというほどでも無いが対手が対手だけに、まだ幅が足・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ずかしくないし、家の者に聞かせたくないような話題も出る筈はないのであるから、私は大威張りで実に、たのしく、それこそ痛飲できるのであるが、そんな好機会は、二月に一度くらいのもので、あとは、たいてい突然の来訪にまごつき、つい、外へ出ることになる・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・ とにかく私にとって、そのような優雅な礼儀正しい酒客の来訪は、はじめてであった。「なあんだ、そんなら一緒に今夜、全部飲んでしまいましょう。」 私はその夜、実にたのしかった。丸山君は、いま日本で自分の信頼しているひとは、あなただけ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ それから約二箇月間、静子夫人の来訪はなかったが、草田惣兵衛氏からは、その間に五、六回、手紙をもらった。困り切っているらしい。静子夫人は、その後、赤坂のアパートに起居して、はじめは神妙に、中泉画伯のアトリエに通っていたが、やがてその老画・・・ 太宰治 「水仙」
・・・「メッチェンの来訪です。わが愛人。」と勝治はその男に言った。「妹さんだろう?」相手の男は勘がよかった。有原である。「僕は、失敬しよう。」「いいじゃないですか。もっとビイルを飲んで下さい。いいじゃないですか。軍資金は、たっぷりです・・・ 太宰治 「花火」
・・・僕のところへ来る客は、自分もまあこれでも、小説家の端くれなので、小説家が多くならなければならぬ筈なのに、画家や音楽家の来訪はあっても、小説家は少かった。いや、ほとんど無いと言っても過言ではない状態であった。けれども、新宿の若松屋のおかみさん・・・ 太宰治 「眉山」
・・・ 私は故郷の津軽で、約一年三箇月間、所謂疎開生活をして、そうして昨年の十一月に、また東京へ舞い戻って来て、久し振りで東京のさまざまの知人たちと旧交をあたためる事を得たわけであるが、細田氏の突然の来訪は、その中でも最も印象の深いものであっ・・・ 太宰治 「女神」
・・・ 檀一雄氏来訪。檀氏より四十円を借りる。 月 日。 短篇集「晩年」の校正。この短篇集でお仕舞いになるのではないかしらと、ふと思う。それにきまっている。 月 日。 この一年間、私に就いての悪口を言わなかった人は、三・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・ そのころには私も或る無学な田舎女と結婚していたし、いまさら汐田のその出来事に胸をときめかすような、そんな若やいだ気持を次第にうしないかけていた矢先であったから、汐田のだしぬけな来訪に幾分まごつきはしたが、彼のその訪問の底意を見抜く事を・・・ 太宰治 「列車」
出典:青空文庫