・・・この可憐な捨児の話が、客松原勇之助君の幼年時代の身の上話だと云う事は、初対面の私にもとうに推測がついていたのであった。 しばらく沈黙が続いた後、私は客に言葉をかけた。「阿母さんは今でも丈夫ですか。」 すると意外な答があった。・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・威勢のいいのでなく、田船を漕ぐお百姓らしい、もっさりとした布子のなりだけれども、船大工かも知れない、カーンカーンと打つ鎚が、一面の湖の北の天なる、雪の山の頂に響いて、その間々に、「これは三保の松原に、伯良と申す漁夫にて候。万里の好山・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と、駿河湾を千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢でございますよ。」と番頭の膝を敲いたのには、少分の茶代・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ それと、戸前が松原で、抽でた古木もないが、ほどよく、暗くなく、あからさまならず、しっとりと、松葉を敷いて、松毬まじりに掻き分けた路も、根を畝って、奥が深い。いつも松露の香がたつようで、実際、初茸、しめじ茸は、この落葉に生えるのである。・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 長提灯の新しい影で、すっすと、真新しい足袋を照らして、紺地へ朱で、日の出を染めた、印半纏の揃衣を着たのが二十四五人、前途に松原があるように、背のその日の出を揃えて、線路際を静に練る…… 結構そうなお爺さんの黒紋着、意地の悪そうな婆・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 天津ノ城主工藤吉隆の招請に応じて、おもむく途中を、地頭東条景信が多年の宿怨をはらそうと、自ら衆をひきいて、安房の小松原にむかえ撃ったのであった。 弟子の鏡忍房は松の木を引っこ抜いて防戦したが討ち死にし、難を聞いて駆けつけた工藤吉隆・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・幸に馬車の深谷へ行くものありければ、武蔵野というところよりそれに乗りて松原を走る。いと広き原にて、行けども行けども尽くることなし。名を問えば櫛挽の原という。夕日さす景色も淋し松たてる岡部の里と、為相の詠めるあたりもこの原つづきなり。よってお・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・白砂に這い、ひろがれる千本松原、または紅葉に見えかくれする清姫滝、そのような絵はがきよりも浅草仲店の絵はがきを好むのだ。人ごみ。喧噪。他生の縁あってここに集い、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・これに引きかえて、発戸河岸の松原あたりは、実際行ってみて知っているので、その地方を旅行した人たちからよくほめられた。 刀根川の土手の上の草花の名をならべた一章、これを見ると、いかにも作者は植物通らしいが、これは『日記』に書いてあるままを・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ 宿の裏門を出て土堤へ上り、右に折れると松原のはずれに一際大きい黒松が、潮風に吹き曲げられた梢を垂れて、土堤下の藁屋根に幾歳の落葉を積んでいる。その松の根に小屋のようなものが一つある。柱は竹を堀り立てたばかり、屋根は骨ばかりの障子に荒筵・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫