・・・子供には、すごく深くおそろしく思ったその雑木山の裾を左へとって、暗いしめっぽい樹の匂いのする急な坂をのぼりきると、松平さんの空地と呼ばれていた広地のからたち垣が見えた。そのからたち垣は、ほんとうに長くて、それについて又左へうねって行くと、大・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆のとき賊将天草四郎時貞を討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守、阿部豊後守、阿部対馬守の連名の沙汰書を作らせ、針医以策というものを、京都から下向させる。続いて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 十日には又寒い西北の風が強く吹いていると、正午に大名小路の松平伯耆守宗発の上邸から出火して、京橋方面から芝口へ掛けて焼けた。 続いて十一日にも十二日にも火事がある。物価の高いのに、災難が引き続いてあるので、江戸中人心恟々としている・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・これは祖先以来の出入先で、本郷五丁目の加賀中将家、桜田堀通の上杉侍従家、桜田霞が関の松平少将家の三家がその主なるものであった。加賀の前田は金沢、上杉は米沢、浅野松平は広島の城主である。 文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命して・・・ 森鴎外 「細木香以」
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫