・・・大友雄吉も妻子と一しょに三畳の二階を借りている。松本法城も――松本法城は結婚以来少し楽に暮らしているかも知れない。しかしついこの間まではやはり焼鳥屋へ出入していた。……「Appearances are deceitful ですかね。」・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・敵軍はきょうも弁護士の子の松本を大将にしているらしい。紺飛白の胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図をするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。「開戦!」 画札を握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 昨夜は松本で一泊した。御存じの通り、この線の汽車は塩尻から分岐点で、東京から上松へ行くものが松本で泊まったのは妙である。もっとも、松本へ用があって立ち寄ったのだと言えば、それまででざっと済む。が、それだと、しめくくりが緩んでちと辻褄が・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
場所。 信州松本、村越の家人物。 村越欣弥 滝の白糸 撫子 高原七左衛門 おその、おりく撫子。円髷、前垂がけ、床の間の花籠に、黄の小菊と白菊の大・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・「おい、坂田君、僕や、松本やがな」 忘れていたんかと、肩を敲かれそうになったのを、易者はびくっと身を退けて、やっと、「五年振りやな」 小さく言った。 忘れている筈はない。忘れたかったぐらいであると、松本の顔を見上げた。習・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ かれに恋人あり、松本治子とて、かれが二十二の時ゆくりなく相見て間もなく相思うの人となりぬ。十年互いに知りてついに路傍の石に置く露ほどの思いなく打ち過ぐるも人と人との交わりなり、今日見て今夜語り、その夜の夢に互いに行く末を契るも人と人と・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 事務室から出ることを許されて、兵舎へ行くと、同年兵達は、口々にぶつ/\こぼしていた。「栗島。お前本当に偽札をこしらえたんか?」 松本がきいた。「冗談を云っちゃ困るよ。」彼は笑った。「憲兵がこしらえたらしいと云いよったぞ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで、恐怖している。私は、少し疲れた。花び・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・昭和九年九月二十九日の早朝新宿駅中央線プラットフォームへ行って汽車を待っていると、湿っぽい朝風が薄い霧を含んでうそ寒く、行先の天気が気遣われたが、塩尻まで来るととうとう小雨になった。松本から島々までの電車でも時々降るかと思うとまた霽れたりし・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・これに反して新道沿いに新しく出来た当世風の二階家などで大損害を受けているらしいのがいくつも見られた。松本附近である神社の周囲を取りかこんでいるはずの樹木の南側だけが欠けている。そうして多分そのためであろう、神殿の屋根がだいぶ風にいたんでいる・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
出典:青空文庫