・・・ 松ツァンは、二本の松葉杖を投げ棄ててタガネと槌を取った。彼は、立って仕事が出来なかった。で、しゃがんだ。摺古木になった一本の脚のさきへ痛くないようにボロ切れをあてがった。 岩は次第に崩されて行った。ピカ/\光った黄銅鉱がはじけ飛ぶ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・あの事務所の少女が、みなからひとりおくれて、松葉杖をついて歩いて来るのです。見ているうちに、私の眼が熱くなって来ました。美しい筈だ、その少女は生れた時から足が悪い様子でした。右足の足首のところが、いや、私はさすがに言うに忍びない。松葉杖をつ・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・ 橋のむこう側にいる男の乞食が、松葉杖つきながら、電車みちをこえてこっちへ来た。女の子に縄張りのことで言いがかりをつけたのだった。女の子は三度もお辞儀をした。松葉杖の乞食は、まっくろい口鬚を噛みしめながら思案したのである。「きょう切・・・ 太宰治 「葉」
・・・ この乗り物が町の四つ角に来たとき、そのうしろから松葉杖を突いた立派な風采の青年がやって来て追い越そうとした。袴をはいているが見たところ左の足が無いらしい。それを呼び止めて三輪車上の紳士が何か聞いている。隻脚の青年は何か一言きわめてそっ・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・五分と五分だ。松葉杖ついたって、ぶっ衝って見せるからな」 松葉杖! 私はその時だってほんとうは、松葉杖を突いてでなければ、歩けないほどに足が痛く、傷の内部は化膿していたのだ。 私は、その役にも立たない、腐った古行李をもう担いで歩くの・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫