・・・奥へ床を移さねばならぬといって、奥の床の前へ席を替えさした。枕上に経机を据え、線香を立てた。奈々子は死に顔美しく真に眠ってるようである。線香を立てて死人扱いをするのがかあいそうでならないけれど、線香を立てないのも無情のように思われて、線香は・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・外出と云う事は夢の外ないであろう。枕上のしきを隔てて座を与えられた。初対面の挨拶もすんであたりを見廻した。四畳半と覚しき間の中央に床をのべて糸のように痩せ細った身体を横たえて時々咳が出ると枕上の白木の箱の蓋を取っては吐き込んでいる。蒼白くて・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ ベッドの上に掛け回したまっ白な寒冷紗の蚊帳の中にB教授の静かな寝顔が見えた。枕上の小卓の上に大型の扁平なピストルが斜めに横たわり、そのわきの水飲みコップの、底にも器壁にも、白い粉薬らしいものがべとべとに着いているのが目についた。 ・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
一 車上「三上」という言葉がある。枕上鞍上厠上合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・うというのは罪の深い事だと気が付いた、そこで直様善光寺へ駈けつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い・・・ 正岡子規 「犬」
・・・ 古金襴の袋刀は黒髪の枕上に小さく美くしい魂を守ってまたたく。 元禄踊りの絵屏風をさかしまに悲しく立て廻した中にしなよく友禅縮緬がふんわりと妹の身を被うて居る。「常日頃から着たい着たいってねえ云って居た友禅なのよ華ちゃん、今・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫