・・・ それから後は、なかば校正の筆を動かしつつ書いた。関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわけには行かない。夜は遅くまで灯の影が庭の樹立の間にかがやいた。 反響はかなりにあった。新時代の作物としてはもの足・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・いや、三十七歳の今日、こうしてつまらぬ雑誌社の社員になって、毎日毎日通っていって、つまらぬ雑誌の校正までして、平凡に文壇の地平線以下に沈没してしまおうとはみずからも思わなかったであろうし、人も思わなかった。けれどこうなったのには原因がある。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・なんだかこれでは自分がベデカの編者それ自身になってその校正でもしているような気がし、そしてその窓が不思議なこだわりの網を私のあたまの上に投げかけるように思われて来た。室に付随した歴史や故実などはベデカによらなければ全くわからないが、窓のなが・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・ 反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。 たとえばゴルフの大家梅木鶴吉という人があるとする。そうして書店の陳列棚に「ゴルフの要訣、梅本鶴吉著」という本があった・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・自分の文章の校正刷りを見る時に顕著な誤植を平気で読み過ごすと同じような誤謬が、不完全なレコードを完全に聞かせるに役立つ場合も可能である。 畢竟蓄音機をきらいなものとするか、おもしろいものとするかは聞く人の心の置き方でずいぶん広い範囲内で・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・の朝は風邪もよくなったようだし胃もいいような気がした。しかし朝は授業がないからゆっくりして日のよく当った居間の障子の内で炬燵にあたりながら何かしていた。十時半頃に学校へ行ったら「数物」の校正が来ていたからすぐに訂正して木下君の部屋へ持って行・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・その頃唖々子は毎夕新聞社の校正係長になっていたのである。「この間の小説はもう出来上ったか。」と唖々子はわたしに導かれて、電車通の鰻屋宮川へ行く途すがらわたしに問いかけた。「いや、あの小説は駄目だ。文学なんぞやる今の新しい女はとても僕・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・文を修め、そのまさに帝国大学に入ろうとした年、病を得て学業を廃したが、数年の後、明治三十五、六年頃から学生の受験案内や講義録などを出版する書店に雇われ、二十円足らずの給料を得て、十年一日の如く出版物の校正をしていたのである。俳句のみならず文・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・と言ったことについて取り消しをだす必要は、もとより認めていないのである。ただ「自分の指導を受けた学生によろしく」とあるべきのを、「自分の指導を受けた先生によろしく」と校正が誤っているのだけはぜひ取り消しておきたい。こんなまちがいの起こるのも・・・ 夏目漱石 「戦争からきた行き違い」
・・・の記念の講演会の予定があり、私の校正も一通り終ったら或は安積へゆくかもしれません。只景色のいいところにいるだけなら二三日でよいが、安積は久しぶりでいろいろ面白いかとも思うので。 きょうは暑いが乾いている。机の上にコスモスの花があって非常・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫